検索

高橋大輔の日本男子初五輪メダルまでの過酷な日々 一か八かで手術、厳しいリハビリ、一時引きこもり...... (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【日本男子初の五輪メダルは「ご褒美」】

 事前にカナダで1カ月ほど練習を積んでから臨んだ2010年バンクーバー五輪は、4回転ジャンプの感覚が戻りきっていない以外には問題なかった。その状態のよさは、SPでの完璧な演技で見せた。

 肉体改造の効果も感じさせるスピンは、3本とも最高難度のレベル4にするノーミスの滑りで、当時の公認大会自己最高の90.25点の3位発進。4回転トーループを跳んでトップに立ったプルシェンコとは0.60点の僅差だった。

「自分は練習してきたということだけを信じてできた。得点を見た時にプルシェンコとそんなに離れてなかったので、フリーへ向けては変なプレッシャーがなくていいかなと思いました」

 そう満足気に話していた高橋。2日後に行なわれたフリーは、SP2位のエヴァン・ライサチェク(アメリカ)が4回転を回避し、合計を257.67点として暫定1位になったあとの演技だった。

「4回転を跳んでメダルを獲るというのが理想」と言った高橋は、冒頭の4回転に挑戦。転倒はしたが、そのあとは粘りの滑りを見せ、ミスも最小限に抑えて合計を247.23点として暫定2位につけた。

 最終滑走で4回転+3回転を跳んで合計を256.36点にしたプルシェンコには抜かれたが、日本男子初の銅メダルを獲得した。

「このメダルは僕にとってはご褒美だと思います」と笑顔で話す高橋は、「ケガをしたことはこれからの僕のスケートや人生にとってすごく勉強になった。今回は失うものがなかったけれど、これが最後ではなく通過点だと思っています」と言葉を続けた。

 その1カ月後の世界選手権。SPでトップに立つと、フリーでは冒頭に世界初の4回転フリップ挑戦。回転不足ながらも着氷するとそのあとはほぼノーミスの滑り。2種類のステップと3本のスピンは、シングル初のすべてレベル4獲得という快挙も果たし、優勝。初の世界の頂点を立ったのだった。

後編につづく

<プロフィール>
高橋大輔 たかはし・だいすけ/1986年、岡山県倉敷市生まれ。8歳でスケートを始める。2002年世界ジュニア選手権優勝。2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会と五輪3大会連続で入賞。バンクーバー大会では日本男子初の銅メダルを獲得。2014年に一度現役を退き、2018年に32歳で復帰。2020年にはアイスダンスへ転向し、村元哉中とカップルを結成。2022年全日本選手権で優勝。2023年に競技を引退し、現在はプロスケーターとしてアイスショーのプロデュース・出演を行なう。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る