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高橋大輔が「素直に喜べなかった」初の五輪代表入り 焦り、緊張のなかでも実感できた成長 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【焦りと緊張のなかでも感じられた成長】

 初めての挑戦となった2006年2月のトリノ五輪。これまで6大会連続メダル獲得でこの大会でも期待されていたスピードスケートの日本勢は男女500mともに4位が最高と、あと一歩でメダルを逃していた。そんななか行なわれたフィギュアスケートの男子SP。高橋は1番滑走で、次には世界選手権3回優勝のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が控えるプレッシャーのかかる条件だった。

 最初の3回転フリップ+3回転トーループは耐える着氷になり、次のトリプルアクセルは高さが出ずにオーバーターンとなってGOE(出来ばえ点)減点のジャンプになった。しかし次のシットスピンから立て直し、3回転ルッツをきれいに決めると、サーキュラーステップとストレートラインステップも躍動感があった。

 得点は73.77点の5位。1位はプルシェンコで90点超と抜け出したが、4回転を跳んで3位に入ったステファン・ランビエール(スイス)には5点ちょっとの差という、上出来と言える滑り出しだった。

 2日後のフリーは、高橋にとって世界大会で初めての最終グループとなったうえに、最終滑走というプレッシャーがかかる状況だった。暫定1位は258.33点のプルシェンコで、3位は6位から順位を上げてきたジェフリー・バトル(カナダ)。高橋は153.82点を出せば並べる得点差だった。スケートアメリカで自己最高の149.44点を出した時よりも構成難度を上げていることを考えれば、無理な数字ではなかった。

 だが、高橋は最初の4回転トーループをダウングレードで転倒。「スタートポジションについたらすごく緊張して、滑り出しは体が全然動かなくて焦った」と振り返ったものだった。それでメダルへの期待はついえたが、そのジャンプが3回転トーループと判定されたことが結果にも響いた。

 次は連続ジャンプの予定だったトリプルアクセルが単発になると、3連続ジャンプを予定していた3回転ルッツに3回転トーループをつけてリカバリーしてしまった。その後、2本目のトリプルアクセルを跳んだあとの3回転ルッツが、2回跳んだ3種類目のジャンプとなって0点の判定に。合計は204.89点で総合8位に落とす結果になった。

「4回転もですが、後半のスピンも練習ではできていたけど本番はバテてレベルを落としてしまいました」と反省を口にする高橋だが、11位と15位だった過去2回の世界選手権より順位を上げる結果となった。

「先シーズンの状態だったらもっと最悪なことになったと思いますが、焦っていても今日ぐらいの出来で終われたのは成長したということ。守りに入らず挑戦したからよかったし、これがスタートだと思って初心に戻ってやっていきたいです」

 高橋はそう話して前を向いた。

中編につづく

<プロフィール>
高橋大輔 たかはし・だいすけ/1986年、岡山県倉敷市生まれ。8歳でスケートを始める。2002年世界ジュニア選手権優勝。2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会と五輪3大会連続で入賞。バンクーバー大会では日本男子初の銅メダルを獲得。2014年に一度現役を退き、2018年に32歳で復帰。2020年にはアイスダンスへ転向し、村元哉中とカップルを結成。2022年全日本選手権で優勝。2023年に競技を引退し、現在はプロスケーターとしてアイスショーのプロデュース・出演を行なう。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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