小説『アイスリンクの導き』第1話 「リンクへ再び、天命」 (2ページ目)
23歳の時、全日本選手権で優勝した後、ミラノ五輪では金メダルを勝ち取って、アジア人で初めて世界選手権も制覇した時を思い出した。あの間も、こんな風に何かに体が突き動かされるように演技できていた気がする。祈るような視線を送るファンと一体になって、その熱い呼吸の中で何かを作り上げる。確実に自分の演技だったはずだが、何かに導かれるような感覚も同時にあった。
ふと、スピンの時間があまりに長い気がした。
〈いつまで回っているんだ?〉
不思議に思う。
仕上げの高速スピン、止めようとしたが、止めることができない。このままでは、タイムオーバーになってしまう。滑り終えたいのに、体は言うことを聞かず、誰かに操られているみたいに回り続けていた。まるで、壊れてしまったおもちゃみたいだった。おかしい。
肌が粟立って、急に怖くなってきた。焦りが募る。助けを呼びたいが、高速回転したまま、声も出なかった。ついに、息苦しさを覚える。
これが永遠に続いたら、自分はどうなってしまうのか。その恐怖で背筋が凍った。あんなに幸せな気持ちだったのに、なんてことだ。少々、スピンで失敗したとしても、こうなる前に演技を終えることができれば、どんなにか最高の気分だったか。思考を重ねる間にも回転はどんどん速くなり、目に映る風景が飛び、音が消えて、匂いもなくなって、自分の存在までが失われる錯覚に陥った。
何かを失う不安。それが際限なく押し寄せてきた。何か、の得体は知れない。命に似ているが、命ではない。混乱に拍車がかかった。
どうすればよかったの?
誰かに問いかけたい。こんな時、問いかけるべき人はいつも傍にいたはずだが、誰もいなかった。叫び出したい衝動がやってきた。
そこで、ぐらり、と体が震えた。
リビングのソファで、星野翔平は自分の現役時代のDVDを鑑賞しながら寝入ってしまったようだった。年明け、外の景色は寒々しく、相当に冷え込んでいるはずだが、部屋はオイルヒーターと加湿器で、温度も湿度も快適に保たれていた。時計を見ると、深夜2時過ぎだった。夢うつつでうなされていて、少し息が荒い。
タイトルが表示された画面が、暗い部屋の中でやたら眩しく明るかった。
体が重い。貰い物の赤ワインを空けて、かなり飲んだ記憶がある。瓶は空っぽだったが、グラスには赤い液体がまだ残っていた。頭がくらくらし、鈍い痛みがあって、目は覚めていた。おつまみに開けたチーズの表面が乾いていた。
「あなたは心の不安が夢に出る」
メンタルトレーナーの夏八木廣には、そう指摘されたことがある。迷ったり、悩んだりしていると、やたら夢にうなされる。当然、ネガティブな内容だった。明るく、前向きな気持ちで一身に突き進んでいるとき、不思議と夢は覚えていないことが多かった。
このまま、すぐには眠りにつきたくないほどひどい夢だった。
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