小説『アイスリンクの導き』第1話 「リンクへ再び、天命」 (3ページ目)
「現役復帰とか考えていないんですか?」
その日のスポーツ番組の収録後、テレビディレクターが口にした何気ない質問が頭にぼんやりと蘇ってきた。
「いやいや、もうないですよ。みんなぴょんぴょん4回転を跳んでいる時代だし、30代のおじさんは体がきついっす。引退してから4年ですもん」
そう答えると、相手は納得したように頷いた。ディレクターも本気で言っていたわけではない。そうなったら企画として万に一つも面白いかも、あるいはもっと気楽な世間話に近かったかもしれない。実際、そのディレクターは違う出演者のご機嫌を取っていた。
4年前に現役を引退し、これといったビジョンもなかった。競技生活が濃密過ぎた。セカンドキャリアに向けての気持ちは盛り上がらなかった。
所属事務所がもってきた解説者、コメンテーターという枠の仕事をこなす日々を過ごしていた。知らなかった発見があって、面白さも感じた。番組一つを作るのに、これだけの人がかかわっているんだ、と思うと気持ちが引き締まった。
一方で、居心地の悪さも感じていた。キャスターをやっても、解説をやっても、リポーターをしても、あるいはタレントのようにおしゃべりをしても、常に"自分の居場所はここなのか"という疎外感があった。
氷上で何かを表現したい。
そのカケラのような欲求だけが変わらずにあった。しかし、それは日々増幅して、今や積み上げられていた。言ってしまえば、やり残したことがある、という感覚だった。大げさに言えば、スケートを裏切った、とも言える。一方で、「いつまでも現役時代を引きずるべきではない」とアドバイスをくれる人もいるし、懐古主義でノスタルジーに浸っているだけ、と自身を諫めることもあった。
しかし、どう否定しても、思いは満ちてきた。
先輩スケーター、坂本大志がモスクワ五輪で4位となってメダルまであと一歩まで迫って、翔平はその思いを受け継いでいる。次のミラノ五輪では金メダルを獲得。世界選手権でも、アジア人初の優勝を成し遂げた。それは自分一人が取った栄光ではなく、先人たちの思いを結集して勝ち取ったものだったが、何か壁を突き破ったように、三浦富美也、飛鳥井陸が台頭し、日本フィギュアの新時代が始まったのだ。
一方、翔平自身は膝のケガの後遺症に悩まされるようになっていた。
27歳の時、限界だった。「若い選手にチャンスを」とデンバー五輪出場を辞退し、世界選手権の出場も取りやめた。リンクに立っていられなくなった。思いどおりに踊れない。そのストレスに打ちひしがれた。
ケガそのものは完治していたが、靭帯はよく動かして温めてからでないと、不具合を生じさせていた。関節の可動域が、コントロールできなくなった。極端に小さくなる症例もあるが、ゆるくなってしまっていた。
また、膝の内部でクッションになるはずの軟骨がすべてはげ落ちてしまって、関節が動くたびに強い痛みが出た。最初は我慢できる程度だったが、そのうちに炎症範囲が広がって、負荷のかかるトレーニングを控えるようになった。そうなると、自然に演技の完成度が甘くなり、だからと言って無理をすると、電源がオフになったように体が動かなくなる悪循環を起こした。
体を温めないで走り出しただけで激痛になった。そのもどかしさは人に説明しがたい。技を極めるために練習したくても、必ず制限が出る。痛みは悪化の一途をたどった。日常生活でも付き纏い、階段を降りる、正座をする、が人並みにできなくなっていた。
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