伊東勤はベテラン投手からの「好きなようにやってくれ」の言葉に救われ、一流キャッチャーへと成長した
伊東勤が語るマスク越しに見た名プレーヤー〜投手編(後編)
西武の黄金時代を支えた名捕手・伊東勤氏が選ぶ「すごいと思った投手ベスト5」。前編では4人挙げてもらったが、最後のひとりは誰なのか?
プロ通算169勝を挙げた高橋直樹氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【好きなようにやってくれ】
── 最後のひとりをお願いします。
伊東 自分を成長させてくれたという意味でナオさん(高橋直樹)を挙げたいです。右のアンダースローからシンカーとスライダーを抜群のコントロールで操って、ゴロを打たせるタイプの投手でした。
── 高橋さんは、もともと東映(現・日本ハム)の20勝を挙げた大エース。1981年に江夏豊さんとのトレードで広島に移籍し、82年途中に古沢憲司さんとのトレードで西武に移籍。西武黄金時代の礎を築きました。
伊東 私のプロ3年目の84年、試合中にマウンドに呼ばれ、こう言われました。「今からおまえが出すサインにはいっさい首を振らない。好きなようにやってくれ」と。じつは、それまで試合前に入念にバッテリーミーティングをやっても、あるベテラン投手は若い私のサインを信用できないのか、ネット裏のスコアラーの出すサインを見て投球していたのです。それほど球速はなかったのでノーサインでも捕球できましたが、捕手にとっては屈辱でした。
── それだけに高橋さんの言葉はうれしかったのですね。
伊東 ふだんナオさんは温厚でやさしい人でしたが、試合中は頑固でした。「アンダースローで投球モーションが大きくても、打者を抑えて走者を本塁にさえ還さなければいいのだから、クイックは不要だろう」と。もともと投手を勝たせたいと思ってリードしていましたが、より捕手として責任感が出ました。
── それが捕手としてのターニングポイントだったわけですね。
伊東 そうですね。ナオさんの存在は大きかったですね。あと、ナオさんのトレード相手になった江夏豊さんにもお世話になりました。私のプロ入り時、江夏さんは日本ハムの守護神で、82、83年は代打でよく対戦しました。それで84年に江夏さんが西武に移籍してきた時に、「西武に若くてイキのいい代打で出てきて楽しみだなと思っていたが、おまえだな」と言われたんです。稀代の名投手に覚えてもらい、しかもバッテリーを組むことになったので、とにかく気持ちが高揚しましたね。
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