坂本花織の葛藤と成長「アクセルも4回転もないのになんで世界女王やねんって言われて...」
【甥と姪を思い浮かべながら】
12月7〜10日に北京で開催されたフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル。優勝候補の坂本花織(シスメックス)は、不安を感じさせない堂々の演技で、2位に22.34点差をつける圧勝劇を見せた。昨年逃したGPファイナルのタイトルを初めて手にした。GPファイナルを初制覇した坂本花織 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
前日の公式練習後は、「張りきりすぎて、最初から全力でぶっ飛ばしすぎた」と苦笑していた坂本。12月8日のショートプログラム(SP)は演技直前、中野園子コーチとつないだ手がぶるぶると震え、「大丈夫?」と心配された。だが、それはいつもの試合前の緊張と同じだった。
最初のダブルアクセルを1.32点の加点で決めると、緊張は微塵も感じさせない滑りですべての要素で高い加点をとるノーミスの演技。ふたり前に滑ったライバルのルナ・ヘンドリックス(ベルギー)を4点以上上回る、シーズンベストの77.35点を出した。
だが演技後の表情は晴れなかった。
「レイバックスピンまではよかったけど、ステップシークエンスの最初のバレージャンプでバランスを崩して、そこからフラフラしていたし、最後のスピンも(レベル3と)ちょっとミスしちゃったんで、ちょっと惜しかったなって」
それでもジャンプは完璧で、開放感を感じるのびのびとした演技だった。SPは甥と姪の誕生をきっかけに自らリクエストした曲のプログラム。坂本は「振付けのジェフリー・バトルさんにブラッシュアップしてもらったのもあるけど、日頃、時間があったらお姉ちゃんと子どもに会いにいき、『今回のショートよかったよ』と話していて。それがけっこう力になっているので、今回も甥と姪を思い浮かべながらしっかりできたかなと思います」と話す。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。