高橋大輔から坂本花織ら次世代へ受け継がれる日本フィギュアスケートの「滑る」伝統 (3ページ目)
●二人三脚で歩んだ長光歌子コーチの証言
「初めて指導した時、『ワルソー・コンチェルト』を振り付けしたら、当時中学2年だった大輔はすぐに滑れて驚きました。それも内面からの表現で、頭より体で理解できて」
高橋のコーチを長年務め、二人三脚で栄光の時代を築いた長光歌子コーチはそう説明している。
「頭で考えるよりも、体で理解しているっていうか。『ちょっとこんな感じで』とさりげなく振り付けをして見せると、すぐに(感覚を)つかめる。多くの人は見て、聞いて、それで体を動かそうってするじゃないですか? 大輔は感覚的っていうか、(曲を伝えた時に)細胞が勝手に反応するところがある気がしました」
天賦の才があったが、それに甘んじなかったという。
「大輔は、自分がどういうスケーターになりたいかっていうのが、中2の頃からありました。スケーティングへのこだわりというか、たとえば、体が硬いのに柔らかく見せられるように、自分が理想とするスケートをイメージし、それに近づいていった気がします。彼なりの世界観があって、それを実現する天性も努力もありましたね」
長光コーチが振り返ったように、滑りを極めたことでたどり着いた領域なのだろう。
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