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村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」 (4ページ目)

  • 山本夢子●取材・文 text by Yamaoto Yumeko
  • 田上浩一●撮影 photo by Tanoue Kouichi

●さまざまな経験を詰め込んだアイスショー開催へ

ーー映画プロデューサーとして頑張っているんですね。

 はい。うちは設立してから日が浅い会社なので、スタジオレベルの撮影ならいいんですけど、撮影期間もたくさんとれるわけではないですし、限られた時間のなかでより多く撮らなければいけない。

 そうするとやっぱりまだチーム力や経験が少ないので、撮った映像のなかで、満足のいくものが少ないです。ちょっとここにミスがあるとか、もうちょっとこっち向きだったらよかったとか、影が入っちゃったねとか。チーム力を高めていかないといけないですよね。

 自分たちで出資して、短編をいくつかつくって映画祭などに出して、何個か賞をいただいたりもしています。今回初めて長編をつくることができました。制作費の捻出は、いつも大きな課題ですが、チャレンジのひとつでもあります。

この記事に関連する写真を見るーー今後、映画とともにその経験を活かして村主さんがつくるアイスショーにすごく興味がありますし、期待値が上がりますね。

 期待してくれますかね、どうですかね。でも、今の子たちはわかんないですよね。村主章枝って誰だろうって(笑)。

ーーそんなことないですよ。氷上のアクトレスです。

 いやいやいや(笑)。

ーーショーは今のところどれくらいのビジョンがあるのですか?

 一応、来年くらいに何かお知らせできるようにと思っています。

ーーすぐじゃないですか。ラスベガスで、ですか?

 日本で、かな。アイスショーはもう少し先になると思いますが、来年あたりからアイスショーにつながる活動を始められたらと思っています。

ーー土台をなくしてはいいものができませんからね。とても楽しみにしています。

 ありがとうございます。またよき時にお知らせできたらと思います!


インタビュー後編<村主章枝はフィギュアスケートの現行ルールを疑問視「ジャンプの技術は上がったけどプログラムとして面白いかというと...」>


【プロフィール】
村主章枝 すぐり・ふみえ 
1980年、千葉県生まれ。幼少期をアメリカ・アラスカ州で過ごし、ウインタースポーツに親しむ。帰国後、6歳でフィギュアスケートを始める。1997年、16歳の時に全日本選手権で初優勝。以降、同大会で5回優勝。2002年ソルトレイクシティ五輪、2006年トリノ五輪で2大会連続入賞。日本人初となるISUグランプリファイナル優勝、四大陸フィギュアスケート選手権優勝3回など世界トップスケーターとして活躍。2014年、28年間の競技者生活を引退。2019年に拠点をアメリカに移し、コーチや映画プロデューサーとして活動している。

著者プロフィール

  • 山本夢子

    山本夢子 (やまもと・ゆめこ)

    スポーツライター。青森県八戸市出身。5歳からフィギュアスケートを習い始め、高校卒業まで選手として各大会に参加。その後、渡米し大学を卒業、就職。帰国後は、コピーライターとして広告制作に携わる。2005年からフリーランス。現在はライターとしてフィギュアスケートの専門誌を中心に執筆中。

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