村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」 (2ページ目)

  • 山本夢子●取材・文 text by Yamaoto Yumeko
  • 田上浩一●撮影 photo by Tanoue Kouichi

●五輪で表彰台叶わず「何が足りなかったんだろう」

ーー村主さんは33歳まで現役を続けてきましたが、それまで続けようと思った理由は何でしたか?

 五輪にとてもこだわりがあって、2006年トリノ五輪で自分の力を出しきったのに表彰台に乗れなかった。それに対して何が足りなかったんだろうという探求人生でしたね。

 五輪にこだわっていたので何度かチャレンジしていましたが、2013年頃から指導の依頼を受けるようになったんです。今でもそうだと思うんですけど、日本の場合は選手活動をしている間はコーチングができません。なので、どちらかを選ばないといけないということになり引退を決意しました。

2006年トリノ五輪で4位。惜しくもメダルを逃した photo by AFLO2006年トリノ五輪で4位。惜しくもメダルを逃した photo by AFLOこの記事に関連する写真を見るーーフィジカル的には問題はなかったのでしょうか?

 うーん、回復力は遅くなったなって思いましたね(笑)。きつい練習に耐えられないというほどではないんですけど、回復力が遅いなと。100%の力で練習をやりきってしまうと、あとでガタッときてしまうのが精神的に大変ではありました。

ーー現役時代はストイックな印象でしたが、引退後はバラエティ番組や写真集などでも話題となり、解き放たれているなと思っていました。

 そうですか?(笑)。根幹の部分は15歳の頃から変わっていなくて。当時出会った振付師のようになりたいという夢は変わっていませんでした。

ーーローリー・ニコルさんですね。

 ローリーの夢でもあったアイスショーをやるという夢をずっと今でも持ち続けているので、教えることもやっていますけどそこはまるで何も変わっていないです。

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