宇野昌磨が平昌五輪後の苦しみから得たもの。北京五輪で成長の総決算を見せられるか (2ページ目)
団体戦ではSP得点の自己ベストを更新したこの記事に関連する写真を見る 昨年末の全日本選手権前、宇野は胸中をそう明かしていたが、リンクで心と体のバランスを保つことができるようになっている。言うまでもないが、その品格は一朝一夕に身につけたものではない。
2018年平昌五輪では、天性のスケーティングで意気軒昂に挑んで銀メダルを勝ちとった。同年の全日本選手権では高みを目指す気概を見せ、大会直前のケガのハンディを克服して劇的な優勝を飾っている。2019年はコーチとの契約を解消後、新コーチを探すもタイミングが合わず、ひとりで苦しみ抜いた。しかし、全日本選手権では歓喜の4連覇を遂げ、映画や小説のような復活劇となった。そして2020年はコロナ禍で他のスケーターたちと同様に万事順調とはいかなかったが、ランビエルコーチとスケートの「楽しさ」を取り戻した。
「どの試合でも成長できるように」
宇野はそう言ってリンクに立ってきた。言うは易く行なうは難し。実際の行動が伴っているからこそ、着実に技術を高められたのだろう。団体戦では4回転に3回転をつけるのに成功し、フリーでの4回転5種類のジャンプ挑戦も今や実現に近づいている。
「やるべきことを自分に課してきて、いろいろとひとつずつこなし、そのなかで見つかった課題とさらに向き合って。いい演技とか、悪い演技とか、そこは運も含めていろいろからんでくるんだと思います。でも、自分から逃げる演技だけはしたくない」
宇野はそう言っていくつもの「今」と対峙し、今のフィギュアスケートにたどり着いた。
たとえば、宇野はコーチ不在で苦しんだ時期があった。しかし今となってみれば、その経験は彼を強くしたと言えるかもしれない。今回事情が違うのは、信頼するコーチは存在し、今のところ北京に入っていないだけという点だ(その後、無事に北京入りした)。
「(宇野)昌磨の(スケートに対する)姿勢を目の当たりにして、彼ならできると思っていた」
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