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宮原知子、どん底から五輪へ。
「来年スケート、やめるの?」からの忍耐 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 宮原にとっては、4年前のシニアデビューシーズンがソチ五輪シーズンだった。そのシーズンの全日本選手権で惜しくも4位にとどまり、五輪代表にはなれなかった。しかし、その翌シーズンからは、浅田真央を抑えて全日本女王の称号を勝ち取り、名実ともに日本女子のエースになった。そして「ミス・パーフェクト」の異名をもらうまでに演技を磨き続けている。

 試合後はこれまで見せたことのない歓喜のガッツポーズと、晴れやかな笑顔が見られた。

「いままでで一番嬉しい優勝。いままでで一番自分の力を出し切ったフリー演技ができたので、ここでガッツポーズするしかないと思ってやりました。せっかくずっと全日本で優勝してきて、今回は優勝しか(五輪代表入りの)確実な道がない中で、優勝しないわけにはいかないという気持ちがあったので、絶対行きたいという一心で滑りました」

 演技後のキスアンドクライでは、小学生のときから二人三脚で厚い師弟関係を築いてきた濱田美栄コーチと抱き合い号泣した。

 昨季は後半戦を棒に振った。ケガを治すだけでなく、これまでおろそかにしていた身体作りにも着手。昨季までは学業との両立をこなすために寝不足になりがちだったことを踏まえ、今季は休学してスケートに注力することにした。体重コントロールも、食べないで行なうのではなく、十分な栄養を適切に摂りながら体幹強化に取り組んできた。

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