宮原知子、どん底から五輪へ。
「来年スケート、やめるの?」からの忍耐 (3ページ目)
濱田コーチを筆頭に、出水慎一トレーナーや医学サポート、リハビリのスタッフ、そして栄養チームが宮原を全面的にバックアップして、焦らずに細心の注意を払って調整をしてきたことが、宮原のパフォーマンス向上に大きなプラスになったようだ。見失いがちだった自分の状態とじっくり向き合ったことが功を奏して、最高の結果に繋がった。
それでもこの数カ月は、苦しい調整期間だったようだ。思い通りに回復が進まない時期もあり、そのたびにスケジュールの変更を余儀なくされた、結局、復帰戦は11カ月ぶりとなる11月のNHK杯だった。そこから1カ月半で4試合を戦い、驚異的な復活劇を見せたわけだ。濱田コーチはこう明かす。
「本当に苦しいスタートだったんです。この全日本に焦点を合わせて、なるだけジャンプをさせなかったですし、実は10月の段階で『来年、スケート、やめるの?』って知子に言ったんです。そうしたら、『やめない』というので、『だったら、焦らないで5年後を目指して練習しましょう』と言いました。
私も『大丈夫』と報道の皆さんに言っていましたが、不安でしたし、(回復するのを)じっくり待たせたので、あの子が最後までよく頑張ったと思います。本当に辛抱強かったです。自分がスケーティングしかできない状態でも、できることをずっとやり続けるすごさというのを見て、私も勉強になりました。
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