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【40代現役アスリートの矜持】「"負け"に負けなかったことは、人生の糧に」近藤明広が20年のプロボクサー生活を継続できた理由 (3ページ目)

  • 杉園昌之●取材・文 text by Masayuki Sugizono

【"負け"に負けなかったことが人生の糧に】

 信じて準備していなければ、好機を生かすことはできない。タイトルマッチのオファーは急きょ舞い込むことも少なくない。近藤自身は身を持って経験している。

 2017年11月、初めての世界挑戦は試合日まで1カ月を切った段階で話がまとまった。当時、スーパーライト級4団体(WBA・WBC・IBF・WBO)統一王者だったテレンス・クロフォード(アメリカ)がIBFのベルトを返上したことで、王座決定戦のチャンスが巡ってきたのだ(ニューヨークでの王座決定戦に挑戦し、判定負け)。長いキャリアを振り返れば、防衛戦を合わせ、日本タイトルマッチは5度、JBC非公認を含め世界戦、地域タイトルマッチは計7度も戦っている。ベルトを懸けた試合では勝ちよりも負けの数のほうが多いものの、何度もチャレンジしてきた。

「僕は運がいいんだと思います。人一倍、練習をしていれば、マネージャーさん、会長さんなど周りの人たちが動いてくれました。『こいつにいい試合を組んでやりたい』って思ってもらえるかどうかが大事だと思います」

 報われた努力ばかりではない。勝ち負けを繰り返しながら、自分を信じてあきらめずに戦ってきた。

 プロ戦績は54戦37勝(21KO)14敗3分け。埼玉県加須市で生まれ育ち、中学生の頃に畑山隆則の世界戦をテレビで見てボクシングを始めた。夢は憧れのボクサーのように『かっこいい男』になることだった。スポーツ特待生で入学した強豪の白鷗大足利高校時代は2年生までまったく勝てず、県大会の1回戦負けを繰り返した。途中で逃げ出したくなるほど追い込まれたが、それまでの倍の練習量をこなし、3年目でインターハイ準優勝の実績を残した。負けから始まった拳闘ストーリーである。東洋大学を中退し、プロに転向して以降も根本は変わっていない。

「"負け"に負けなかったことは、人生の糧になっています。キャリアを見れば、負けは多いし、世界チャンピオンにもなれませんでしたが、かっこいいボクシング人生を歩んできたという自負はあります。埼玉の田舎で育ち、才能もなかった男が世界戦のリングに立てただけでも奇跡です。人は腹をくくって、人生を懸けて取り組めば、できないことはないと思っています」

 プロボクサー近藤明広として、過ごす時間はもう残りわずか。引退試合となる次戦かぎりでグローブを吊るす予定だ。10年以上にわたって、ともに歩み、支えてきてくれた妻との約束でもある。3児の父は柔和な笑みを浮かべ、忍耐強い伴侶に感謝していた。

「大変なときしかなかったですが、ずっと助けてもらってきました」

 現役最後のリングでは、かっこいい生きざまを見せるつもりだ。"努力の拳"をよく知る人たちは、その日を楽しみにしている。

著者プロフィール

  • 杉園昌之

    杉園昌之 (すぎぞの・まさゆき)

    1977年生まれ。スポーツ総合出版社の編集兼記者、通信社の記者として働いた後、フリーランスのスポーツライター兼編集者へ。現在はサッカー、ボクシング、陸上競技、野球、五輪競技全般とジャンルを問わずに取材している。

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