【プロレス】藤原喜明はアントニオ猪木に「天国でも地獄でもいいから会いたい」 もし"再会"できたら聞きたいことを明かした (2ページ目)
【最後まで「アントニオ猪木」を貫いた】
猪木は晩年、心臓に異常なたんぱく質が沈着して機能障害を起こす「心アミロイドーシス」を患い、闘病生活を送った。それを支えていた妻の田鶴子さんは、2019年8月27日に膵臓がんのため亡くなり、以後は親しい知人らが闘病生活を支えていた。
「猪木さんのお世話をしていた人に聞いたんだけど、普段は本当に苦しそうにしてたらしくてな。だけど、マスコミの取材とか人と会う時は、さっきまでしんどそうだったのがカメラを向けられた途端にシャキッとなったそうだよ。プロレスラーはみんなそうなんだ。プロってそういうもんなんだなってあらためて教えられたよ。あの人は、亡くなるまでずっと『アントニオ猪木』を貫いたよな」
藤原は新日本プロレスに入門した1972年から付き人を務め、モハメド・アリ戦、パキスタンでのアクラム・ペールワン戦など数々の修羅場を共にし、UWFに移籍してからは対戦もした。そして晩年は、胸襟を開いて酒を酌み交わした。
政治家に転身するなど、プロレス界だけでなく広く大衆に注目された国民的スターの人物像について、藤原はこう明かした。
「はっきり言って、完璧な人じゃなかったかもしれない。天才的なところはいっぱいあるけど、どっか抜けてたり、人にもだまされたしな。北朝鮮でプロレスをやったり、国会議員の時はイラクに乗り込んで日本人の人質の解放に貢献したり......考えてみたらムチャクチャなことばっかりだけど、アントニオ猪木がやれば、それがまかり通るんだ。そんな人はほかにいねぇよ。だから、みんなが憧れるんだよな」
亡くなるまで"闘魂"を燃やし続けた原動力については「やっぱり、ブラジルでの経験だろうな」と話した。
「14歳でブラジルに渡って、毎日、朝から晩まで手を血だらけにして畑でコーヒー豆を収穫していたって聞いたけど......やっぱり、常人では経験できないような、その時の体験があの人を強くしたんじゃないのかな。とにかく、たくましい人だったよ」
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