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【プロレス】藤原喜明が思い出す、前田日明が起こした長州力「顔面襲撃事件」と解雇 アントニオ猪木に「なんとかなりませんか」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【流血の異種格闘技戦】

 選手が少ないままスタートしたUWFだったが、1988年5月12日に後楽園ホールで旗揚げすると、チケットは即完売、8月13日には有明コロシアムでの興行を成功させるなど時代の寵児となった。

 芸能事務所やイベント会社などと協力し、月1回の試合を開催した。選手の入場式ではレーザー光線を使った斬新な演出を取り入れ、チケット販売方法はチケット販売代理業を活用。さまざまな取り組みのおかげで、人気コンサートにも匹敵するプラチナチケットとなった。解雇されたマイナスをプラスへ転化させた前田と、UWFの盛り上がりについて、藤原は「うれしいなと思ってたよ」と振り返る。

 一方で、前田を解雇した新日本は人気が低迷。興行は苦戦が続いたが、藤原は変わらぬ存在感を発揮していた。なかでも7月29日に有明コロシアムで行なわれた、キックボクサーのドン中矢ニールセンとの異種格闘技戦は壮絶な激闘になった。

 ニールセンは、1986年10月9日に前田と対戦して敗れはしたが、その名前はプロレスファンの間で浸透していた。88年5月8日には、山田恵一を相手にKO勝ち。その山田の仇を討つ形で、藤原が対戦に名乗り出たのだ。

 3分7ラウンドの一戦で、藤原はニールセンの容赦ないパンチ、蹴りを顔面に浴びた。そうして顔面から流血しながらも、アキレス腱固めなどの関節技で追い込んだ。最後は、5ラウンドに左ハイキックを顔面に浴び、おびただしい流血によるレフェリーストップ。藤原はTKO負けを喫した。

「異種格闘技戦というのは、相手がどんなことをするかわからないんだ。慣れてないから、勝つこともありゃあ負けることもある。今思えば、もうちょっと早くタックルに行ければよかったなとは思うよ。だけど、終わってからどうこう考えてもしょうがねぇ。勝負には"たられば"はないからな。最後にいいハイキックを入れられた。それだけだよ」

 ニールセンとの激闘を終えた翌年、時代は昭和から平成に移った。その年に、藤原は新日本を退団し、再びUWFへ合流したのだ。

(敬称略)

つづく

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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