【ボクシング】ウェルター級の日本の希望、佐々木尽を支えるのは71歳のトレーナー 3人の息子と一緒に世界の頂点へ (2ページ目)
3カ月近い休養を経て練習再開。慎重に回復状況を見極めながら強度を上げ、段階的にスパーリングも再開した。そして12月、再起戦は年明けの2026年2月19日に決まった。
ノーマンJr.が尽を沈めた左フックは、海を越えて称賛されている。1月末、米老舗ボクシング専門誌『The Ring』が、「2025年度年間最高KO賞」に選出した。尽は自身のXに、「リングマガジン年間最高KO賞に受賞されました(原文ママ)」と投稿した。
「今はとにかく早く、試合がしたい。『佐々木尽は、世界では通用しない』と言われている。それを覆したい。状況を早く変えたい。すぐ試合がしたくて、うずうずしています」
夕方6時。練習開始前、尽は軽いシャドーで体を温めながら話した。その様子を少し離れた場所で見守っていた人物が、ゆっくり歩み寄り、穏やかな表情で話しかけた。
「尽、慌てなくても大丈夫だから」
顎に蓄えた白い髭。顔に刻まれた深いしわ。首に薄手の黒いマフラー、グレーの厚手のパーカーの上に着た、色褪せた赤いジャンパー。中屋ジムのチーフトレーナー、中屋廣隆だ。
「ノーマンJr.との世界戦は、私も相手の実力を見誤ってました。尽も成長していたけれど、同じように相手も成長していた。負けた理由は準備不足。私の責任です。尽には、申し訳ないと思っています」
1954年5月15日生まれの71歳。高知県四万十町で育った廣隆は、彫刻家を目指して上京し、日本大学芸術学部に入学。バイト先で知り合った同僚の影響でボクシングに目覚め、大学近くにあった斉田ジムに入門した。21歳だった。
プロ戦績は1勝2敗1分。学生結婚と第一子誕生を機に引退し、ボクシングからは遠ざかった。30歳の時、古巣の斉田ジムでトレーナーとなり再びボクシングに関わり始める。そして、 1995年1月7日、40歳の時、独立して八王子中屋ジムを開いた。現在のジムは2012年に移転した。
2000年1月、田中光輝がOPBF東洋太平洋ライトフライ級王座を獲得し、ジム初の王者が誕生。以降も、日本ミドル級王座を9度防衛した鈴木悟、7連続初回KOという当時の日本新記録を樹立した日本フェザー級王者・雄二ゴメス、2012年5月には、日本ミドル級王者・淵上誠がゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)に挑戦。さらに、2013年7月、荒川仁人がWBC世界ライト級王座決定戦に挑んだ。
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