【プロレス】藤原喜明が見た、アントニオ猪木と山本小鉄の素顔 誰からも愛された「前座の力道山」との思い出 (3ページ目)
【プロレスラーらしいプロレスラーだった先輩】
早飲み競争は時に、「賞金マッチ」になることもあったという。
あとは、宴会の途中で一升瓶一本を誰が早く空けるか、っていう競争もあってな。それに賞金が出たんだ。ある時、用意スタートって飲んだら、荒川(真)さんがダントツで1位だったことがあったな」
一升瓶を飲み干した荒川の伝説には、その先があった。
「飲み終わったあと、荒川さんがパッと立って大広間を出ていったんだ。俺がソォ~っとついていったら、荒川さんがトイレで全部戻してんだ(笑)。そのあとに俺と目が合った荒川さんは、ニヤァ~って笑ってたよ。
あの人が面白いのは、そこから宴会場に戻って、ドカっと座って『さぁ、これからゆっくり飲むか!』って笑って、また飲むんだ。俺が何を言いたいのかっていうとな、レスラーってのは、そういうハッタリも必要ってことだよ。弱いところを見せちゃいけないんだ」
藤原はそんな荒川が大好きだった。荒川は力道山を彷彿とさせる黒のロングタイツ姿で戦っていたため、「前座の力道山」と呼ばれた。しかしある試合で、タイツに関する"事件"が起きた。
「ある試合でコールされた時に、ガウンを脱いだらタイツを履いてなかった時があって。タイツの下につけるサポーターだけだったから、お客さんは大爆笑だよ(笑)。慌てて控室に戻って、タイツ履いてもう1回リングに戻ってたな。
荒川さんは力が強かったよ。しかも、あの人は腕も足も短くて太いから、こっちは極められない。2分ぐらいの試合だったら、あの頃の新日本で一番強かったかもしれねぇな。ただ、3分くらい経つと急にだらしなくなっちまうんだ(笑)」
荒川は1989年3月に新日本を退団し、1990年10月に新団体「SWS」に入団。1992年6月に同団体が崩壊してからは、さまざまな団体でリングに上った。しかし、2017年11月5日、71歳で亡くなった。
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