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【プロレス】藤原喜明が明かす新日本プロレスに入門した理由 それ以前は会社員やコック、冷凍マグロの解体も経験 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

 金子は日本プロレス時代の同門で、当時、国際プロレスの社長だった吉原功と懇意にしていた。

「金子さんと吉原さんが仲良くて、よく吉原さんがジムに遊びに来ていたんだ。ある日、ふたりが桜木町の焼肉屋に行く時に『お前も行くぞ』って誘われて。その時は肉を食っただけで何も言われなかったんだけど、今思えば、金子さんは吉原さんに『レスラーになりそうな、若いヤツはいないか?』と聞かれていたんじゃないかな」

 結局、吉原から声はかからなかったが、1972年のある日、金子が「プロレスやるか?」と声をかけてきた。

「当時は国際プロレスがあって、新日本と全日本が旗揚げしたばかりだった。金子さんは、どこの団体にも顔がきく方だったから。『どこでも紹介してやるぞ』って言ってくれてな。それで、俺は『新日本へ行きます』と答えたんだ。

 どうしてかって? 当時、『プロレス&ボクシング』っていう専門誌があって、そこに選手名鑑があったんだよ。それを眺めていたら新日本の選手が一番小さかったんだ。人数も少なかったし、『ここならチャンスがあるかもしれない』と思ったからだよ。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんの名前は知っていたけど、悪いけど、あの頃はふたりへの憧れもなかったな」

 金子の紹介で新日本プロレスへの入門が決まった。

(つづく)

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

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