検索

【プロレス】「ぶつかり合ったからこそ、わかり合えた」 柴田勝頼が振り返る棚橋弘至との真剣勝負の先にあったもの (4ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── 自らの退団と、棚橋選手の社長就任の報告が同時だった(笑)。

柴田 棚橋くんが社長になる条件のひとつに現役引退も含まれていて、「あと2年で現役を終えて社長業に専念する」という話でした。で、自分のほうからは新日本のリングではエキシビションみたいなことしかさせてもらえないのと、それまでメインで関わっていたLAの道場が急に「終わり」ってなったことで、いよいよ新日本にいる意味がなくなった。

 新日本を辞めてAEWでやっていくことを伝えました。お互いがまったく同じタイミングで、まったく真逆の方向に向かっていくことを告げるというなんとも言えない感じではありましたけど、あそこも大きなターニングポイントでしたね。

── 棚橋選手から社長就任の話を聞いて、どう思いましたか?

柴田 棚橋くんが現役でいる間は、できる限りのサポートを全力でやりたいと思いましたね。今年の夏、イギリスでタッグを組むことができたのは、最後のいい記念になりました。それにしても運命というのは不思議なもので、ずっとアメリカンプロレスが大好きだった棚橋くんがずっと新日本という場所に居続けて、新日本以外はプロレスとして見ていなかった自分がアメリカの団体に所属しているんだから、人生って何があるかわかりませんね。

 棚橋くんの社長就任は、ここ数年の新日本プロレスの流れを見ていても、やはり団体のトップに立つ者には最低限プロレスに対する"愛"っていうのが必要だと痛感したので、プロレス界のために本当によかったと思います。

── いよいよ棚橋選手の引退が目前に迫ってきました。

柴田 やっぱり、同じ時代を走ってきた人間が引退するのは寂しいものがありますよ。でも最終的に引き際を決めるのは本人なので、何も言うことはありません。

── 引退試合の相手は、柴田さんと同じAEWのオカダ・カズチカ選手です。

柴田 なるべくしてオカダになったというか、それもまた運命だと思います。自分は対戦相手がオカダで、結果的によかったと思います。でも、もしも最悪トラブルとかアクシデントでオカダが出られなくなった場合、当日でも声をかけてもらえればコスチュームを持っていきますので(笑)。今は本当にこのままケガなく、無事に1・4東京ドームのリングに上がれることだけを祈っています。とにかく最後まで突っ走ってください。以上!


柴田勝頼(しばた・かつより)/1979年11月17日生まれ。三重県出身。98年、新日本プロレスに入門し、2005年に退団。07年から総合格闘家として活動。HERO'S、DREAM、DEEPなどに出場。12年、新日本に復帰。17年、「NEW JAPAN CUP」で初優勝し、オカダ・カズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦。試合後に急性硬膜下血腫と診断され、長期活動を休止。18年、新日本LA道場のヘッドコーチに就任。21年、サプライズ復帰を果たすと、23年、AEWに移籍。25年、フック、サモア・ジョーらとユニット「The Opps」を結成。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る