【プロレス】「ぶつかり合ったからこそ、わかり合えた」 柴田勝頼が振り返る棚橋弘至との真剣勝負の先にあったもの (3ページ目)
【予想もしていなかった友情パワー】
── 2017年4月、柴田さんは重傷を負って長期欠場となりましたよね。あの時、棚橋選手とはどんなやりとりがあったのですか。
柴田 あの時はですね、医者から「もうプロレスはできない」と言われまして。毎日ベッドの上で「さあ、これからどうするか......」と考えていたところに棚橋くんが見舞いに来てくれたんですよ。そこで、お互いの今後のレスラー人生の話なんかをして。
── 選手生命が絶望視されていたので、自然とそういう会話になりますよね。
柴田 でも意外と自分は気持ちの切り替えが早くて、「ここから段階を踏んで、できることを探しながら指導する立場になろう」と前向きだったんですけど、棚橋くんのほうが落ち込んでいて、元気のない印象でしたね。
それで棚橋くんは「ドームの本戦から外れるようになったら、(進退を)考えないといけない......」といった感じのことを言うから、「でも試合ができるだけでもうらやましいから、いいじゃん!」って。それで最終的に「もう一踏ん張りします!」という前向きな言葉が棚橋くんの口から聞けた感じですね。
── 実際に柴田さんはそのあと、願いが叶ってロサンゼルスの新日本道場で選手育成に尽力することになって。
柴田 それで日本に帰ってきた時は、G1決勝で棚橋くんのセコンドを申し出たり。あの時期は、それまでのふたりの流れからは予想もしていなかった友情パワーみたいなものが生まれていましたね。G1を優勝した棚橋くんを肩車した時なんて、いま思うと本当にドラマチックでした。
【新日本プロレス退団と社長就任】
── そして2024年の年末、柴田さんは新日本との契約を終えてAEWに入団。あの時、退団することを真っ先に伝えたのは棚橋選手ですか?
柴田 そうですね。それが当然だと思いました。選手のなかで最初に伝えなきゃいけないのは棚橋くんだなと思っていて。たまたま道場のトレーナー室で自分が治療を受けていた時に棚橋くんが「お先に失礼しまーす」って現われたので、自分が「あっ、ちょっと話が......」と切り出したら「......じつは自分も話が」と(笑)。
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