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【プロレス】学生プロレスから新日本のトップへ ボディメイクの棚橋弘至とスイーツ真壁刀義が歩んだ異端の王道 (5ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── プロレスの現場はプロレスラーが一番よく知っている。さらにトップを獲った人たちにしかわからないプロレスというものもあるわけですよね。

真壁 トップから見た景色って、トップじゃないとわからない。誰が何を言おうが、そんなものは絶対にわからないはずだよね。だって、トップは自分が団体を引っ張っていかなきゃいけないんだから。自分がチャンピオンに君臨しているからこそ、お客が集まって、「さあ、どういう試合をするんだ」ってみんな期待をしているわけ。トップはそこの思いも引き上げなきゃいけない。

 そのためには、どういうプロレスラー像であるか、どういう考えであるか、どういう立ち振る舞いをして、どういうファイトで、お客をどこまで沸かせられるか、興奮させられるか。そして、もう一度プロレスを見に来させるか。その答えは選手のここ(頭の中)にしかないんですよ。

 だから棚橋は、それをどこまで発揮して、結果として見せられるというのが、社長としての腕の見せどころだよね。このあとに続く後輩たちをどうやって引っ張り上げるのかっていう。棚橋もそこを考えていると思うよ。上に上がれば上がるほど、「オレだけ光ればいいじゃん」って考えてる奴はひとりもいない。だって、大元の会社がなくなったら、おまえなんか跡形もなくいなくなるぜって話なんで。新日本で育ったのなら、優秀な新日本の後輩をどれだけつくれるかですよ。

── 棚橋選手は「100年に一人の逸材」を自称し続けてきました。

真壁 正直それだとまずいんだよ。これからは「棚橋は100年に一人じゃない。本当は10日に一人の逸材だった」ってくらい、優秀な後輩をいっぱいつくっていかなきゃいけないんだよ。それができたら「100年に一人の名社長」になれるんじゃねえかってね。これから棚橋には、そういう闘いが待ってるんだよ。


真壁刀義(まかべ・とうぎ)/1972年9月29日生まれ。神奈川県出身。96年2月に新日本プロレスの入門テストで合格。97年2月15日、大谷晋二郎戦でデビュー。豪快なファイトスタイルでG1 CLIMAX優勝やIWGPヘビー級王座、NEVER無差別級王座など数々の実績を残す。一方で、テレビ番組でスイーツ好きを披露し人気を獲得。プロレスの枠を超えて知名度を広げ、新日本プロレスの黄金期再興に大きく貢献した。棚橋弘至らとともに激動期を支えた"同志"として、いまなお存在感を放ち続けている

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