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【プロレス】学生プロレスから新日本のトップへ ボディメイクの棚橋弘至とスイーツ真壁刀義が歩んだ異端の王道 (3ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── ああ、なるほど。

真壁 オレたちがガキの頃に見ていた、古舘(伊知郎)さんや(山本)小鉄さんなんかはそういうところを伝えるのがうまかったんだなっていうのをすごく感じたんだよ。そしてプロレスラー自身は、自分で自分の大河ドラマをつくっている。プロレス自体も潰し合いが永遠と続く大河ドラマ。「でも、おまえらはあれか。大河ドラマに出たことねえからわかんねぇか」って(笑)。

── アハハハハ!  真壁さんは大河ドラマにまで進出しましたからね(笑)。

真壁 「大河ドラマはオレと長州力しか出たことないんだ、コラ」って。あとオレと棚橋の共通点ってことで言うと、学生プロレス出身っていうね。

【学生プロレス出身の誇り】

── そうですね。1999年、棚橋選手のデビュー戦の相手も真壁さんでした。

真壁 後楽園ホールですよ。あの日、たしか2試合しかなかったのかな? 柴田と井上がメインで「なんでオレと棚橋が第1試合なんだよ」って思った記憶がある。「ふざけんなよ、この野郎。だったら学生プロレスでやっていたオレと棚橋で最高のプロレスを見せてやるよ」って。

 学生プロレスラー同士が本物のプロレスラーになって、ましてオレなんかはデビューするまで先輩たちからひどい仕打ちを受けてきたなかでプロレスラーになったわけじゃないですか。だったらオレたちふたりですごいプロレスを見せてやろうと思ったんだな。だから、当時のレベルとしては相当高かったと思うよ。感情的にもそういうせめぎ合いの試合をやったので。だから、結局オーライなんだよ。棚橋もそこがスタートだから。

── 最初に真壁さんという学生プロ出身者が新日本にいたことは、棚橋さんにとっては救いだったんじゃないですか? 当時のプロレス界の学生プロレスに対するアレルギーというのはすさまじかったでしょうから。

真壁 オレ、新日本に出した履歴書に「学生プロレス出身」って隠さないで書いたよ。そんなもの、あとでバレてクビになるんだったら、最初から全部書いてやるわと思って。それでも入門テストに合格できたんで、「よし、やったるわい」と。

 だけどまあ入ったら、先輩はみんなオレに対して目の敵ですよ。「早く辞めさせてしまえ」というのがあった。でも、そんなことで負けるわけないじゃないですか。「おまえらみたいなクソ野郎からオレが逃げるわけねぇだろ、この野郎!」とずっと思ってた。そこから何年も地獄が続いたけど、もう今となっては笑える話だし。

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