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平昌五輪で「大満足の演技」もメダル獲得ならず......宮原知子が4回転時代に追い求めた自分らしさ

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第11回 宮原知子 後編(全2回)

 まもなく開幕するミラノ・コルティナ五輪に合わせて、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。

 第11回は、2018年平昌五輪に出場した宮原知子の軌跡を振り返る。後編は、ケガを乗り越えて平昌五輪で見せた「大満足の演技」、そして高難度化するなかで自分らしさを追い求めた現役時代終盤について。

2018年平昌五輪でノーミスの演技を見せ4位に入った宮原知子  photo by Kyodo News2018年平昌五輪でノーミスの演技を見せ4位に入った宮原知子  photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【苦境を乗り越えてつかんだ五輪の切符】

 平昌五輪シーズン(2017−2018)を前にして、宮原知子は不運に襲われた。2017年1月に左股関節の疲労骨折の診断を受け、出場が決まっていた四大陸選手権や世界選手権などを欠場することになった。

 1カ月間は氷上を離れてリハビリに専念し、同年5月から本格的に氷上練習を再開したが、今度は右股関節を負傷してしまう。ジャンプ練習の再開は10月からとなり、シーズンインは11月のNHK杯にずれ込んだ。

 スケーティングやスピン、ステップしか練習できない時期もあり、ジャンプの練習を始めてわずか1カ月弱で大会に臨む状況だった。そのNHK杯は、総合5位にとどまった。それでもその2週後のGPシリーズのアメリカ大会ではフリーをノーミスで滑り、坂本花織らを抑えて優勝。見事な復活を遂げた。

 エフゲニア・メドベージェワ(ロシア)の棄権で繰り上がり出場したGPファイナルは、総合5位。そして、全日本選手権では若手の坂本や紀平梨花らが急成長するなかでの戦い。SPは坂本にわずかに及ばず2位発進になったが、フリーでは高い演技構成点を得る熟成された演技を見せ、合計220.39点で大会4連覇。2枠の五輪代表を一番手で決めた。

「優勝しなければいけないという強い気持ちで滑りました。ジャンプも今までで一番、自分の力でしっかり踏み切り、自分の力で全部降りた感触があったので、ここでガッツポーズをするしかないと思いました」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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