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平昌五輪で「大満足の演技」もメダル獲得ならず......宮原知子が4回転時代に追い求めた自分らしさ (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【自分にしかできない演技を見せたい】

 トリプルアクセルを跳ぶ紀平がシニアデビューし台頭してきた2018−2019シーズン。採点ルールが変わるなかでも、宮原はGPシリーズ2試合で堅実な演技を見せ219点台を連発して優勝と2位の結果を出した。

 だが、紀平が233.12点で優勝したGPファイナルで宮原はSP、フリーともに回転不足のミスが出て総合6位に沈んだ。全日本選手権はSPで会心の演技を見せたが、フリーでミスがあり総合223.34点。坂本と紀平に次ぐ3位だった。世界選手権も日本勢ではそのふたりに続く6位と結果を出しきれなかった。

「下の世代がどんどん上がってくるので高難度のジャンプにも挑戦しなければいけないという気持ちもありますが、得意なスケーティングや表現でももっと自分にしかできないものを見せていきたいです」

 宮原はそう話したとおり、アイスショー『ファンタジー・オン・アイス』では初めてのアーティストとのコラボで『ひこうき雲』に挑戦。さらに公演期間中に自ら選んだ『グノシエンヌ第1番』の振り付けをステファン・ランビエールに依頼し、最終公演ではその曲を披露。自身の世界観を広げる試みを始めていた。

 しかし、2019−2020シーズンが始まると、4回転ジャンプやトリプルアクセルを跳ぶロシア勢が他を圧倒し、宮原は回転不足などのジャンプのミスが続いて結果を出せない試合が続いた。

 さらにコロナ禍になり試合への出場機会が減るなか、2021年は世界選手権に出場したが19位と低迷。2度目の五輪を狙った北京五輪2021−2022シーズンも、GPシリーズ2試合で7位、5位と結果を出せず、全日本でも5位。2022年3月に競技引退を発表した。

 小柄ながら努力でその才能を伸ばし、世界に存在感を見せつけた宮原。競技引退後はプロスケーターとしてアイスショーでさらに磨きがかかった宮原らしい表現世界を見せ続けている。

終わり

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<プロフィール>
宮原知子 みやはら・さとこ/1998年、京都府生まれ。アメリカで過ごした幼少期にフィギュアスケートを始め、ジュニア時代には2011年、2012年の全日本ジュニア選手権で2連覇。シニアでは2014〜2017年の全日本選手権で4連覇したほか、2015年世界選手権2位、2016年四大陸選手権優勝など華々しい成績を残す。2018年平昌五輪は4位入賞。2022年に競技引退後は、プロフィギュアスケーターとしてアイスショーに精力的に出演している。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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