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【プロレス連載】越中詩郎の禁断の新日本移籍にジャイアント馬場はどう反応した?「侍戦士」と同級生の元東スポ記者が裏側を明かす (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――どんな話をされたんですか?

柴田: 彼はビートルズが大好きで、それが私たちの一番の共通点でした。メキシコやヨーロッパ、台湾、韓国などさまざまな国に遠征していますが、ビートルズの故郷であるイギリス、ロンドンの「アビーロード」にはまだ行けていないそうで、それが今でも夢のひとつだと話していました。

 高校時代はバンドを組んでドラムを担当していたと聞いて、意外でしたね。彼のファイトスタイルは無骨なファイター。「リズムに乗って両手、両足を別々に動かすドラム、本当に叩けるの?」なんて話した思い出があります。実は器用なのかもしれません。

【馬場の付き人時代の裏話】

――越中選手は、ジャイアント馬場さんの付き人を長く務めていたそうですね。

柴田:そうですね。越中選手は、馬場さんの付き人だった大仁田厚さんの後を継いで付き人に就任しましたが、なかなか後継者が決まらなかったこともあり、かなり長い期間務めていました。馬場さんの背中を流したり、身の回りの世話をしたりと、付き人としての仕事は多岐にわたります。当時、馬場さんの付き人は、試合が終わっても馬場さんが寝るまでそばを離れられないという慣習がありました。

 食事も一緒にとり、寝る時もそばにいなければならない。そのため、洗濯をする時間もなかなか取れず、ホテルや旅館のランドリーを借りていましたが、間に合わないこともしばしばだったそうです。そんな時は、服に霧吹きをかけてシワを伸ばし、パンツなどは洗わずにただきれいに畳んで渡していた、と聞きました(笑)。

――馬場さんは、それに気づかなかったのでしょうか?

柴田:馬場さんは気づいていたのか、気づいていないのか、何も言わずに普通に着てくれたそうですよ。当時、全日本のパンフレットを制作していた田中印刷の通称"田中のオジサン"が、馬場さんの側近として常に一緒にいたんですけど、その田中さんが「馬場さん、越中は洗濯していないんじゃないか?」と指摘しても、馬場さんは知らん顔をしていたようです。

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