【プロレス連載】越中詩郎の禁断の新日本移籍にジャイアント馬場はどう反応した?「侍戦士」と同級生の元東スポ記者が裏側を明かす (3ページ目)
――馬場さんに夜食を頼まれた越中選手が、深夜営業のマクドナルドでフィレオフィッシュを買ってきた際、拒否した馬場さんに「食べてください」とお願いし、しぶしぶ馬場さんが食べたら見事にハマったという話が好きです。そこから1週間、毎日フィレオフィッシュを食べたそうですね。
柴田:馬場さんは食通で、日本各地どころか世界中のおいしいものに詳しかった。ファストフードにはなじみがなかったでしょうけど、いったん気に入るとしばらくそればかり食べてましたね。
【全日本から新日本へ衝撃の移籍劇】
――越中選手は三沢光晴選手のデビュー戦の相手を務めました。その後、三沢選手とメキシコに遠征しましたね。
柴田:そのメキシコ遠征中、三沢さんが馬場さんの指令で先に日本へ帰国してしまい、越中選手は悔しく、そして寂しい思いをしたそうです。メキシコの空港まで三沢さんを送っていったと言っていました。
馬場さんから「三沢の面倒を見てやってくれ」と言われていたのに、彼がいなくなってしまった。越中選手は「メキシコの次はアメリカに行きたい」と馬場さんにお願いしましたが、返事をもらえなかったそうです。この時、彼は自分が見捨てられたと感じたようですね。
――海外ですし、なおさら孤独感に苛まれたでしょうね。
柴田:そんな時に、新日本プロレスの坂口征二さんから声がかかり、ロサンゼルスやハワイで会食する機会を得た。メキシコの食事に比べ、ロスで食べた日本食のうどんは格別においしかったそうです。それを機に、越中選手は新日本プロレスへの移籍を決意しました。今でも坂口さんには、「坂口さんのおかげで今の俺のプロレス人生がある」と感謝を口にしていますね。
――全日本プロレスを去る際、馬場さんとの間で何かやり取りはありましたか?
柴田:越中選手は馬場さんに挨拶に行きましたが、そっけない態度を取られたそうです。「馬場さんは目を合わせようともしなかった」と聞きました。移籍後、新日本が用意してくれたアパートに住み、その引っ越し初日に全日本の会場に出向いて馬場さんに挨拶しても、状況は変わらなかったようです。
馬場さんからは事前に、「俺が坂口と話をつけてやるから、こっちに戻ってこい。ジュニアのチャンピオンに挑戦させてやる」という具体的な話も出ていたそうですが......。その頃にはすでに、彼の気持ちは新日本に傾いていたようです。
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