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【新日本プロレス】棚橋弘至×藤波辰爾 新旧社長対談 「なんでまたオレの時にいろんなことが起こるんだ」 (4ページ目)

  • 取材・文/井上崇宏 取材・構成/市川光治(光スタジオ)

── 社長業の相談を坂口さんにされていたんですね。

藤波 でも坂口さんも自分が退(しりぞ)かされたばかりだったし、あまり口を出したくないんだよね。だけど常に自分が相談に行くものだから「そういう時はこうするんだよ。こうしたほうがいいんだよ」って教えてくれたけどね。

【社長業はやりがいしかない】

── 棚橋さんは今、新日本の社長をやられていて、藤波さんの時とは違って、わりと正当的な就任だったと思うんですけど。

棚橋 僕は2016年ぐらいにある雑誌のインタビューで、「将来、新日本プロレスの社長になります」って言ってたんですよね。その発言は全然広がっていかなかったんですけど、やっぱり野心に燃えていたんでしょうね。2016年と言えば、ちょうど新日本プロレスがよくなっていく時だったので。

藤波 その頃、オレはもう新日本を出ていたから、外から見ていて「やっと新日本が正常に機能し始めたな」という感じがしたよね。それまではちょっと、新日本プロレスと言えども新日本プロレスじゃなかったんだよ。プロレスの団体、会社というのは、やっぱり旗振りは選手じゃないとダメだとオレは思う。実際、やってみて社長業はどう?

棚橋 いや、日々学ぶことがあって、僕にはやりがいしかないですよ。大学を卒業してすぐにプロレスラーになったから、社会人としての自分は1〜2年目だという意識でやっています。すべての会議、各種の書類に対して早めに対応することを心がけ、今は損益計算書とか数字が見られるようになってきました。

藤波 いくら計算をしたところで、オレらの頃にはまだアントニオ猪木という"天の声"があったから。その天の声がいつどういう声を発するか、それでもうすべてがひっくり返っちゃうんだから。

棚橋 天の声が「右に行け」と言ったら右へ行かないといけないし(笑)。

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