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【新日本プロレス】棚橋弘至×藤波辰爾 新旧社長対談 「なんでまたオレの時にいろんなことが起こるんだ」 (3ページ目)

  • 取材・文/井上崇宏 取材・構成/市川光治(光スタジオ)

かつて新日本プロレスの社長を務めた藤波辰爾(右)と現社長の棚橋弘至 撮影/タイコウクニヨシかつて新日本プロレスの社長を務めた藤波辰爾(右)と現社長の棚橋弘至 撮影/タイコウクニヨシこの記事に関連する写真を見る

【苦労しかなかった社長時代の5年】

── 棚橋さんがデビューしたあと、藤波さんはプロレスラー棚橋弘至をどんなふうに見ていましたか?

藤波 その頃、もうオレは巡業に行ってないかな。

棚橋 もう藤波さんは時々あるビッグマッチのみ出場でした。

藤波 だからほとんど見ていない。行った時もじっくりとみんなの試合を見ることはなかったし。もしも一緒に巡業を回っていたら、まだ個人的に見る余裕もあっただろうけど。

棚橋 僕と藤波さんはちょうど入れ違いでしたね。闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)の時代で、nWoの後期ぐらいでした。

藤波 新日本が乱れだした頃だね。

── 組織が乱れだした時はどういう対応をするんですか? 

藤波 オレは現場にいなくて、あの頃は長州が現場監督でいたんだよね。長州もさすがに目に余るという時は当然言うだろうけど、選手たちをがんじがらめにして「こうしろ、ああしろ」と言うタイプじゃなかったから、わりと自由にというか、普通にやっていたんじゃないかな。

棚橋 武藤さんたちの離脱、全日本への移籍があったりして、藤波さんは社長として苦労されたと思います。

藤波 大変だったよ。オレが社長をやっていたのは5年間かな? 本当に針のむしろで、安心して寝ていられる日がなかった。

── 新日本プロレスの社長になりたくてプロレスラーになったわけじゃないですもんね。

藤波 そう。社長のポジションなんていうのは突然降って湧いたようなもので、あんなの順番に来た社長じゃないからね。だから「なんでまたオレの時にたくさんいろんなことが起こるんだ......」と思っていたよ。順調だった新日本プロレスの基礎をつくったのは坂口(征二)さんなのに、なんで社長を降ろされるんだろうって。

棚橋 ドーム大会を始めたりとかした頃ですね。

藤波 坂口さんはやっぱり几帳面タイプだったから。それが急に坂口さんからオレに取って代わるわけでしょう。だからオレは何か問題が起こると、しょっちゅう坂口さんのところに行ってはお伺いを立てていた。

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