【新日本プロレス】棚橋弘至×藤波辰爾 新旧社長対談 「なんでまたオレの時にいろんなことが起こるんだ」 (7ページ目)
── 棚橋さんは社長になり、来年1月4日に現役を引退されるわけですけど、これから新日本プロレスはどういう組織になっていきますか?
棚橋 これから充実期を迎えるでしょうね。今は20代後半、30代前半の選手がむちゃくちゃいるんです。その選手たちは本来ならもっと早くスターダムにのし上がっていたところを、コロナ禍によって詰まった状態なんです。そんな彼らの闘いがこれから本格的に激化すると思います。ボルチン・オレッグ、令和三銃士(海野翔太、成田蓮、辻陽太)、大岩(陵平)、そしてまたそこにウルフアロンも入ってきた。未来が面白くなりそうすぎて、自分もまだもうちょっと闘っていたいなって思ってしまうかもしれない。「オレも混ぜてくれ!」って言って(笑)。
藤波 そうだろ? だからオレがこの間の名古屋でも言ったじゃない、「まだ引退撤回できるよ」って(笑)。でも、そのあとに棚橋くんのあいさつで本人の固い決意を知って、オレも迂闊に引退撤回とか言ったらいけないなと思った。今、彼がいろんな希望を語ってくれて、それは俺も応援するし、なんか叶いそうな気がするな。オレらの頃とは違って、会社としての土台、形が出来上がりつつあるから、選手を育てるとかスターをつくっていくという作業をしていくうえで雑念はないだろうから。
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/1976年11月13日生まれ。岐阜県出身。大学時代からレスリングを始め、98年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。99年に立命館大学を卒業し、新日本へ入門。同年10月10日、後楽園ホールにおける真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。2006年7月17日、IWGPヘビー級王座決定トーナメントを制して第45代王座に輝く。09年、プロレス大賞を受賞。11年1月4日、小島聡を破り、第56代IWGPヘビー級王者となり、そこから新記録となる11度の防衛に成功した。23年12月23日に新日本プロレスの代表取締役社長に就任。26年1月4日の東京ドーム大会で引退する
藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)/1953年12月28日生まれ。大分県出身。70年6月、16歳で日本プロレスに入門し、翌71年5月9日デビュー。72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カール・ゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。カール・ゴッチのもとで修行を積み、 78年1月にWWWFジュニアヘビー級王座を獲得した。81年末にヘビー級転向を宣言。長州力との戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれファンを魅了。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月に新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。 08年より団体名を『ドラディション』へと変更した
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