【プロレス】「何かやれよ」のむちゃぶりから誕生したドラゴン・スープレックス 藤波辰爾が棚橋弘至に伝えたい土壇場の人生学 (5ページ目)
棚橋 うわあ。「危険な技をやりやがって」と。
藤波 エグい角度で落としたんだから、それは誰も口をきいてくれないよね。
棚橋 怖え......。アメリカのそうそうたるスターたちから総スカンって最高に怖い話ですね。
藤波 控室が変な空気で、ただただ冷たい視線だけがあってさ。いたたまれなくなってオレはタオルだけ持って廊下に出たら、新間さんや東京スポーツの櫻井康雄さんとかテレビ朝日のスタッフとか、日本から来ているスタッフだけが「よかったよ!」って寄ってきて。
── これぞ昭和の新日本プロレス(笑)。
棚橋 日米間の温度差がすごかった。
藤波 まったく人の気も知らないで(笑)。
棚橋 いやぁ〜、これは初めて聞くエピソードでした。
【「何かやれよ」は魔法の言葉】
藤波 ドラゴン・スープレックスをやったのはあの時が初めてで、それで日本に帰ってきて、何試合目かに今度はドラゴン・ロケットをやったんだよ。
棚橋 ドラゴン・ロケットもかっこよかった。
藤波 あれなんかもオレはやったことがなかったからね。当時、場外に飛ぶっていうのはメキシコでも2、3人いたくらいかな? それを見てオレは「こいつらはバカか!」と思ったもん。それくらいすごい距離を飛ぶわけ。会場も向こうは闘牛場だから、場外にマットを敷いてないしね。
棚橋 木の板が置いてあったりとか、そのまま土とかですよね。
藤波 石ころがいっぱいあるところでビョーンと飛ぶわけだから狂ってると思った。でも、また日本に帰ったら新間さんが「いいか、何かやれよ」と言うわけ。
棚橋 絶えず「何かやれよ」と。
藤波 だからオレは夢中で場外に飛んだね。
棚橋 「何かやれよ」と言われたことでドラゴン・スープレックスやドラゴン・ロケットの扉が開いた。じゃあ、これからは僕も若い選手に発破をかける時は「何かやれよ」と言うようにします(笑)。
藤波 でも本当にそれは大事よ。それで選手も意識が高くなる。「今のままじゃいけないんだな」っていう気持ちになるからね。
棚橋 常に「自分はどうあるべきで、何をやればいいんだろう?」と考えるきっかけになりますもんね。
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