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【プロレス】「何かやれよ」のむちゃぶりから誕生したドラゴン・スープレックス 藤波辰爾が棚橋弘至に伝えたい土壇場の人生学 (2ページ目)

  • 取材・文/井上崇宏 取材・構成/市川光治(光スタジオ)

── そして鋼のようなボディをしていて。

棚橋 そうなんですよ。

── 顔立ちも端整で。

棚橋 そうなんですよ。

藤波 いやいや(笑)。

棚橋 最近はイケメンという言葉があって、何年か前にイケメンレスラーっていうのが注目されたりもしたんですけど、藤波さんはその元祖ですから。

藤波 その元祖はどこに行ったのかな?(笑)。鋼のボディもかなり退化しちゃったからね。オレは若手時代、フロリダのタンパに行って、カール・ゴッチさんのところで修行したんだけど、あそこで寝泊まりをして、四六時中一緒に練習と生活を共にしたのってオレだけなんだよね。もう途中からは息遣いまで一緒になっていた。道場がないから庭の芝生の上で練習するんだけど、とんでもない緊張感だから太れなくて、身体が大きくならなかった。

棚橋 食べても食べても、運動量が超えちゃうんですね。

藤波 そう。それで絞りきった身体になっちゃった。

【異色だったカール・ゴッチの存在】

棚橋 今は一般でもフィットネスという概念が広がっていますけど、藤波さんは40年、50年も前から本当にかっこいい身体をつくり上げていたんですよね。

藤波 オレなんかは考え方とか生き方があんまり器用じゃないから、まっすぐにゴッチさんから言われたことをやっていただけで。猪木さんに憧れてプロレスの世界に入って、まず猪木さんから「プロレスとは何ぞや」というものを多少聞いて、そのあとに実際にカール・ゴッチと練習をした。ゴッチさんには科学的な基礎からの身体づくりから、格闘技を闘うにはこういう動きが必要だという練習を毎日徹底的にやらされて、ほとんどマインドコントロールされていたもんね。

棚橋 忠実に言われたことだけをやり続けて。

藤波 それでオレは22歳からアメリカで試合をするんだけど、当時のアメリカはみんな身体のデカい選手ばっかりですよ。特にノースカロライナという中部にいたから、日本人もあまりいないところで本当にデカいのしかいなかった。でもオレはカール・ゴッチと練習をやっていたから恐怖感が芽生えたことはなかったんだよね。

棚橋 すごいですね。

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