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日本ボクシング世界王者列伝:浜田剛史 強打ゆえのブランクを経て頂点に辿り着いた不撓不屈の「KOのカリスマ」 (3ページ目)

  • 宮崎正博●文 text by Miyazaki Masahiro

【鋼鉄を叩いて拳を鍛える】

 のちにプロボクサーになった兄の影響で、自身も同じ道を志したのは小学生のころ。それからひたむきに努力を重ねた。一念に殉ずれば、道は拓けると信じ続けた。だから、己の現状に満足したことは一度もない。中学生でボクシングジムに通い始め、高校時代は学校の道場、ジムとふたつの練習を掛け持ちした。パンチの強さは、そんな時代からケタ違いだったと伝わる。

 修練の果てに身につけたそのボクシングは、パンチ力頼りの乱暴なものでは決してない。自分が持つ最も強いパンチを打ち込める距離、間合いをはかりながら、じっくりと攻め上げる。アグレッシブな姿勢を貫きながらも、そんな丁寧な試合づくりを持ち味にした。

 もちろん、一瞬にして燃え上がる闘志は、火のように熱い。チャンスと見るや、一気に豪打を浴びせかけた。「KOのカリスマ」として、ファンから圧倒的な支持を集めたのも当然だった。

 その浜田の人となりは、リングのそれとは、かけ離れている。どこまでも温厚篤実である。インタビューでは、どんなに大胆な問いかけに対しても、しっかりと考え抜いて答えを出してくれる。意見の相違はあったとしても、声を荒げるとか、不機嫌な表情を作るとか、そんな姿を見たことはない。さらに頑固である。自身の信念を曲げることはない。

 壊れた拳を強くするには、どうしたらいいのか? 体験者としての提案がほしいと訊ねたことがある。浜田は「自分の場合ですが」と断りながら、こう答えた。

「鉄骨を叩いたんです。けっこう力を入れて。そうすれば強くなれたんです」

 つい、「うーん」とうなってしまった質問者を見て、浜田はちょっと困った顔をした。それから、視線をはっきりと逸らして、呟くようにひと言。

「本当に強くなるんですがねぇ」

 ボクシングの強さを作るのは技であり、合理性に基づく科学であることを、この人は十分すぎるほどに承知している。ただし、不合理に見える真理に向き合うだけの覚悟と心の強さが、合理と科学を管理できる術だ、とも。

 この頑固さこそが、浜田剛史がレジェンドたる所以である。

(文中敬称略)

PROFILE
はまだ・つよし/1960年11月29日生まれ、沖縄県中城頭郡中城村出身。沖縄県立沖縄水産高等学校3年生でインターハイ・フェザー級優勝。卒業後、上京して帝拳ジムからプロに転向した。新人王戦で敗退後、持ち前の強打でKOを量産。いち早く日本最大のホープと呼ばれるようになる。拳の故障で2年に及ぶブランクを作りながら、1986年、レネ・アルレドンド(メキシコ)を初回KOで粉砕してWBC世界スーパーライト級(当時の名称はジュニアウェルター級)タイトルを獲得。初防衛後、アルレドンドとの再戦に敗れたのがラストファイトとなった。引退後は帝拳ジム代表とともにテレビ解説者として人気を博す。身長170cm。サウスポーのファイター。24戦21勝(19KO)2敗1無効試合。

著者プロフィール

  • 宮崎正博

    宮崎正博 (みやざき・まさひろ)

    20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。

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