白帯だった佐竹雅昭が、伝説の空手家に肋骨を折られ「本物の蹴りだ!」と興奮 その背中を追いかけて日本一に上り詰めた (2ページ目)
【中山師範に学んで得た「人を倒す自信」】
中山は第1回大会を優勝し、翌年の第2回も制した。佐竹は組手の稽古で、日本一の空手家に胸を借りた。
「これが、まったく歯が立たなくて。全日本王者の実力、自分との実力差を思い知らされました。弱い僕は、強い先輩を見て学んでいった。理想的な、いい道場に入ったと思っていました」
稽古の軸は組手。そこで人を倒す術を学んでいった。
「肉体の強化もやりましたが、動いている相手を倒さないといけませんから、組手を重ねるしかないんです。先輩たちとの組手が一番鍛えられました。指導も斬新だけどわかりやすくて、当時の空手界では最先端だったはずです。
具体的には、"力の入れどころ"を教わりました。突きなら、腕を伸ばして拳が相手に当たる瞬間に力を入れて"突き抜く"イメージ。人を倒すには、当たった瞬間のインパクトが最も重要で、あとは脱力していていい。あと、『遠心力を使って、拳を止めるんじゃなくて突くんだ』とよく指導されました。中国武術の『発勁(はっけい)』という技術と同じ極意です。
それを、ひたすら組手を重ねて体で覚えました。稽古を重ねるうちに僕も習得してきて、相手と少しの隙間があれば、人を倒せる自信がついていった。身体能力も上がって、当時は体重が70キロ台でしたが、ジャンプで人の頭を飛び越えられるくらいでした。全身がバネみたいな感じでしたね」
稽古を離れても佐竹は、中山と行動を共にした。
「これは、今の時代では完全にアウトでしょうが......。中山師範は普段、何を考えているのかわからない人なんです。街を歩いていると、いきなり『今からケンカするぞ!』と言って知らない人と戦って、勝って『逃げろ!』と去る。そんなことが多くて、漫画『嗚呼‼花の応援団』の主人公・青田赤道のような、破天荒を絵に描いたような方でした(笑)。そこが、僕には魅力的だったんですけどね」
中山の背中を追い続ける日々。高校を卒業し、関西外語大学へ進んだ1984年には、全日本選手権大会で4位になった。
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