長与千種はアジャコングにとって憧れでありライバル プロレスを続けるきっかけになった「失望のシングルマッチ」も振り返った (5ページ目)
――アジャ選手は「365日、アジャコング」でいることに疲れたりしませんか?
アジャ:私の場合は、「疲れたな」と思ったら、全部シャットダウンして誰にも会いません。ひとりでいることが全然苦痛ではないので、休みの日とか、誰とも連絡を取らないでひとりでいたりしますね。一歩外に出たら人に見られるけど、見られる商売を選んだんだからしょうがない。でも、家のなかに籠っている限りは、誰にも見られていないから好きにしてていいよねって。そこでバランスは取れているのかなと思います。
――バランスが取れるようになったのはいつ頃ですか?
アジャ:全女時代は巡業が多くて、年間250試合くらいしていたので考える暇もなかったですけど、フリーランスになって自分の時間を取れるようになってきた頃......30代後半くらいにバランスが取れるようになりましたかね。ひとりの時間があることはすごくありがたいし、すごい大事だなと思います。その時間がないと生きていけないかもしれませんね。
(第4回:ブル中野からベルトを獲ったあとの苦悩 今はリング上で相手と「会話」をしながら闘う>>)
【プロフィール】
●アジャコング
1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken
著者プロフィール
尾崎ムギ子 (おざき・むぎこ)
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。プロレスの記事を中心に執筆し、著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(共にイースト・プレス刊)がある。
【写真】「常に今が史上最高」アジャコング フォトギャラリー
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