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かつての長与千種を動画で見て「この人、死んじゃうよ!」 彩羽匠はいかにプロレスにとり憑かれ、リングに上がったのか (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

【長与とのすれ違いを乗り越え、マーベラスに入団】

 憧れの長与に初めて会ったのは、大学生の時だ。剣道部だった彩羽が国体ベスト16に入った褒美に、母親が長与の経営する東京・湯島のパブに連れて行ってくれた。母は長与に会えば気持ちが落ち着いて、また剣道に専念するだろうと思ったのだ。しかし、そこからさらに火がついた。「心が火事でした」と彩羽は笑う。

 その頃、長与は団体を作るかどうか迷っていた。2009年7月、全日本女子プロレスの松永高司元会長が間質性肺炎のため死去。長与に「もう一度、横浜アリーナでやりたい」という遺言を託した。その後、長与の父もすい臓がんで他界。モルヒネが効かず、全身麻酔のなかで最期に言われた。「たったひとりでいいから、選手を作れ。もう一度、見せてくれよ」――。

 彩羽がパブを訪ねてきたのは、そんな時だった。プロレスラーになりたいという強い思いを聞き、喉から手が出るほど「欲しい」と思った。しかし、「よし、来い」とは言えなかった。道場もリングもない状況だったからだ。それから2年が経ち、ようやくすべてが整いかけた時、彩羽は大学を中退してスターダムに入団してしまう。現実を受け止めるほかなかった。

「長与さんに『大学を卒業してからでも遅くない』と言われて、『自分は今のプロレスを全然知らない』と思ったんですよね。また東京に行って、たまたまその日にやっていたのがスターダム後楽園ホール大会だったんです。(岩谷)麻優さんとかも同い年なので、『やっぱり自分、遅いわ!』と焦りを感じて、そのままスターダムに入団しました」

 2013年4月29日、スターダム両国国技館大会にてデビュー。対戦相手は"女子プロレス界の横綱"こと、里村明衣子だ。里村に三角絞めを仕掛ける場面もあったが、最後はスリーパーホールドを決められてレフェリーストップ負けを喫した。

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