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井上尚弥も中谷潤人も「知らない」 かつてデラホーヤと戦い敗れ去った元世界王者の今

  • 林壮一●取材・文 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

【かつて中量級を盛り上げた元オリンピアン】

「え、知らない。パウンド・フォー・パウンドのベストを争っている? そんなにすごい選手なんだ......」

 米ネバダ州ラスベガスのハリー・リード国際空港から、北に23km。レンタカーを飛ばして、元IBF、WBAスーパーウエルター級チャンピオンのフェルナンド・バルガスが経営するジムを訪ねた。

自らのジムで子供たちを指導するバルガス自らのジムで子供たちを指導するバルガスこの記事に関連する写真を見る

 1990年代の終わりから2000年代頭にかけて、ボクシング界は中量級が熱かった。"プエルトリコの秘宝"フェリックス・TITO・トリニダード、バルセロナ五輪の金メダリストとしてプロに転向した"ゴールデンボーイ"オスカー・デラホーヤ、ライト、ウエルター、スーパーウエルターと3階級を制した"シュガー"シェーン・モズリー、スーパーフェザーから5階級制覇を成し遂げ、50戦全勝27KOのレコードで引退し現在もエキシビジョンマッチで稼ぐ、フロイド・"Money"・メイウェザー・ジュニア、そして、1996年のアトランタ五輪に18歳で出場したバルガス。

 総当たりとはならなかったが、ビッグネームのぶつかり合いがファンを恍惚とさせた。当時、筆者は5名それぞれのキャンプに何度も出向き、インタビューを重ねた。各々に魅力を覚えたが、バルガスは特に思い入れのある選手だった。

 記者会見や計量時、毎回のように対戦相手を突き飛ばし、扱き下ろすというワイルドさを売りにしていた反面、家族思いで繊細な顔も見せた。約束時間の5分前には、必ず待ち合わせ場所にやって来た。練習時にはいつも頭にバンダナを巻いていたが、日によって、赤、紺、水色、白と色を変える若さを覗かせた。

 1999年6月末、筆者はIBFスーパーウエルター級タイトル2度目の防衛戦を控えたバルガスのトレーニングキャンプに3日間、密着した。その折、彼は「人生で最大の喜びを感じたのは、アトランタ五輪代表になった日でも、世界チャンプになった日でもない。息子が生まれた日だ」と語った。

 21歳の若きパパは、言った。

「息子は、俺よりも"デカい男"になってもらいたい。弁護士でも医者でも、なんでもいい。とにかく自分が選んだ道でトップを目指して、精一杯生きてほしい。それをサポートするのが父親の役目だ。最高の親父になりたいと常々考えている」

 この時点でのバルガスの戦績は、16戦全勝16KO。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。ボクサーとしての夢は、「パウンド・フォー・パウンドのトップになることだ」とも話していた。同キャンプから、およそ2週間後に催された防衛戦では、かつて同タイトルを保持していた挑戦者のラウル・マルケスを圧倒し、11ラウンドTKO勝ちを収める。伸び盛りの彼は、6歳上の元世界チャンプを歯牙にもかけなかった。

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