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鈴芽は地元の工場から東京女子プロレスのリングへ「こんなに全力で生きている世界があるんだ」 (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

【地元の工場に就職するも、辰巳リカに憧れてプロレスラーに】

 鈴芽は1998年、茨城県に生まれた。父、母、4つ上の姉がいる。父は会社員で、母は専業主婦。曰く、"普通すぎる"家庭に育った。両親に叱られている姉を見て、自分はうまく立ち回っていたという。「妹の特権ですね」と笑う。

 子どもの頃から要領がよく、やるべきことはきちんとこなし、やらなくてもいいことは手を抜いた。勉強は得意ではなかったが、持ち前の器用さで成績はよかったという。中学の途中から不登校になった。理由を聞くと、「なぜなんでしょう......」と言葉を濁す。

 意外にも運動神経はよくなかったという。しかし、体を動かすことは好きだった。特に好きだったのはマット運動。「プロレスに活かせていると思う」という。

 小学校2、3年生の時にバレーボールのクラブチームに入り、中学でもバレーボール部に入部。高校はバレーボール部がなく、絵を描くことが好きだったため文芸部に入部した。部活がない時は体育館でバレーボールをして遊んだ。

 夢は声優や芸能関係の仕事。高校で進路を決める際、夢を叶えるために進学したかった。しかし、親にも先生にも友人にも、自分のやりたいことを話すことができなかった。

「自分の気持ちを主張することが苦手でしたね。誰かの反対を押し切る勇気もなかったので、就職することにしました」

 高校卒業後、地元の工場の事務員として働き始めた。労働条件がいい"ホワイト企業"だったが、わずか1年半で辞めてしまう。プロレスラーになるためだ。

 きっかけは、東京女子プロレスの辰巳リカ。プロレスファンの友人からプロレスの話を聞くなかで、「この人を見に行きたい!」と観戦に連れていってもらった。プロレスのルールも知らなかったが、ひと目でその魅力にハマった。

「汗も涙も全部キラキラしているし、『こんなに全力で生きている世界があるんだ!』という衝撃を受けました。会場の一体感も、初めて見た時にびっくりしたことのひとつです。お客さんの歓声とかも含めて、会場全体で試合をしている感じがしました」

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