ケンコバが明かす、越中詩郎45周年記念大会での場外乱闘の真相 直前に全日本の社長からの謎のひと言 (2ページ目)
――越中さんは、高校卒業後の1978年にジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入門。翌79年3月5日に千葉・館山市民センターでの園田一治(ハル薗田)戦でデビューしました。越中さんにとって全日本マットは"ふるさと"でもあります。
「そうなんです。でもここ数年は、越中さんと全日本のつながりは薄かったはず。そんななかで、デビュー45周年を迎えて全日本に招かれたのは、越中さんも感慨深いだろうなと思いましたね。
『これを"運命"と言うんだなぁ』と思いながら、全日本さんに用意していただいた席で試合を見ました。会場で全日本勢の試合を見るのは久々だったんですけど、いやぁ、全日本の選手はデカイですね。ジャイアント馬場さんの教え、イズムが脈々と生きているんだなぁと」
――身長2m9cmの馬場さんはプロレスラーに対して、観客を一瞬で引きつける体の大きさを求めていました。
「斉藤ブラザーズ(兄・斉藤ジュンと弟・斉藤レイ)や、安齊勇馬選手の体を見て、"馬場イズム"が生きていることに感動しましたよ。特に、デビュー2年目の安齊選手はかなり成長していますね。常に試合はフラフラになっている印象で、今年3月に三冠ヘビー級王座を奪取した時は『いくらなんでも戴冠は早すぎるやろ!』と思いましたが、チャンピオンになると、ここまで人は成長するものなんだなと感心しました」
――本当にそうですね。
「馬場さんのイズムを感じたのはデカさだけじゃありません。最近のプロレス界での『周年記念大会』は、主役のレスラーの必殺技を、ほかの選手がさまざまな試合で繰り出してメインイベントへつなげていく、という流れがあるんです。
今回は越中さんの記念大会ですから、代名詞のヒップアタックが出るかなと予想してたんですが......あの日は出なかった。1試合おきくらいで出ていたのは、ビッグブーツ。馬場さんの16文キックを彷彿とさせるビッグブーツをさまざまな選手が繰り出しているのを見て、『なんだかんだ言っても、全日本は馬場さんが生み出した団体だなぁ』と強く思いましたよ」
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