「世界のTK」髙阪剛が語る、日本の総合格闘技が世界と「競り合える日は近い」と考える理由 (3ページ目)

  • 篠﨑貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • photo by Getty Images

【日本と世界、総合格闘技の進化の差】

――かつてPRIDEが隆盛を極めた日本の格闘技は、現在RIZINで再び熱を取り戻しつつあります。それに対してUFCを舞台とするMMAの進化の速度はいかがですか?

「MMAに向かっての"加速"は、北米のほうが速かったと思います。

 私は1998年にアメリカに渡ってUFCに参戦したんですが、その前年、練習のためにシアトルのモーリス・スミス(キックボクシング王者/元UFCヘビー級王者)のところに行ったんです。そしたら、当時からUFCを目指す若手選手がゴロゴロいたんですよ。1998年の3月にUFCデビュー(『UFC 16』でキモに判定勝ち)をした後に、ビバリーヒルズ柔術クラブでの練習があった時も、『練習やろうよ!』と練習生が近寄ってきました。

 ニューヨークのヘンゾ・グレイシー(PRIDEのリングで菊田早苗、桜庭和志らと戦った)のところに練習に行った時も、『DREAM』にも出たジェイソン"メイヘム"ミラーから『TK、ちょっとスパーリングやろうぜ』って。こっちは誰だか知らないけど、向こうは私がUFCに出ている選手だと知ってるから、その空気を体感したかったんでしょう。そのくらい、当時から熱があった。だから日本に空白期間があったのではなく、北米を中心にMMA熱が高まるのが早かった、という感覚です」

――UFCの第一回大会が1993年。髙阪さんがアメリカを拠点にした1998年は『PRIDE.2』が行なわれた年ですから、日本で格闘技人気に火がつく直前という時期ですね。

「そうですね。UFCは立ち上げ以降、回を重ねていく中でその舞台を目指す選手が芋づる式に増えていきました。私がアメリカに行った時は、北米だけでも目指している選手が多かった。貧しい生活を変えるために格闘技に賭ける、といった人たちが、日本と比べると圧倒的に多い国でもありますからね」

――そういった選手がUFCに集まってレベルが上がっていった?

「そうですね、日本のMMAの進化も完全に止まってはいなかったけど、スピードは遅かった。一方のアメリカは加速し続けたので、その差が今になって現れていると感じます」

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