東京女子プロレス・上福ゆき「自分は客寄せパンダでいい」 港区女子からリングで取り戻した自尊心と周囲への感謝
■『今こそ女子プロレス!』vol.13
上福ゆき 後編
(前編:レースクイーンもグラビアも素行の悪さで仕事なし→東京女子プロレスに入るまで>>)
東洋大学のミスコンで準ミスに輝き、芸能界入りした上福ゆき。しかし不器用な性格が災いして仕事はなくなり、わらをも掴む思いで東京女子プロレスの練習生となる。2017年春のことだ。
東京女子プロレスの上福ゆきこの記事に関連する写真を見る プロレスに対して、「怖い」「流血する」といったネガティブなイメージはなかった。かといって、いいイメージがあったわけでもなく、K-1もRIZINもプロレスも同じだと思っていた。「無知ゆえに飛び込んでしまった」と当時を振り返る。
道場に練習に行くようになると、驚きの連続だった。部活をやったことがなく、大学時代から"港区女子"生活を送っていた上福は、同年代の女性たちが2列になり、前転を繰り返す様を見て「何の工場だろう」と思った。
「ルブタン履いて、ディオールのバッグを持ってる女しか見てこなかったから、アディダスのジャージで前転している人たちを見たら、びっくりしますよね(笑)」
最初は「無理。できない」と思った。しかし、雑巾で掃除をしたり、きちんと挨拶をしたりする先輩たちを見て、忘れかけていた心を取り戻せそうな気がした。それでも練習は辛くて堪らず、何度も逃げようと思ったという。
「名字が珍しいから、『東京で逃げても見つかるな』と。おばあちゃんが鹿児島に住んでいるので、鹿児島に逃げようと思いました。すごく悩んだけど、悩んでいるうちにデビューすることになってしまった」
デビュー戦のタッグパートナーは、まなせゆうな。まなせは異常なテンションで「頑張ろう! 君の世界はここから始まるんだ!」と張りきっていた。そのテンションについていかなければ失礼かなと思い、どうにか頑張れた。「まなせさんが感じの悪い人だったら、デビューしていなかったかもしれない」と話す。
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