「タイガーマスク、マスクを脱いだぁ!」素顔に戻った三沢光晴は、天龍退団後の全日本プロレスに新しい時代をもたらした (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

 それまでのプロレス実況では、選手の超人的な能力に関する秘話を語ることはあっても、私的な話、家庭のことについて紹介することはあまりなかったからだ。

「プロレスラーは"常人"ではダメ。ファンが遠巻きで見るスターじゃないといけない。そこに、庶民的な家庭の温かさはいらないかもしれない、とも思いました。

 でも私には、『テレビの放送は励ましだ』という信念があります。日本テレビを作った正力松太郎さんは『放送は大衆への奉仕であれ』とおっしゃいましたが、私は『大衆への励まし』だと思っています。

 プロレスでも、レスラーの家庭的な秘話を紹介することは、視聴者への励ましになるのではないか、と思ったんです。事実、三沢さんはジャイアント馬場さんのようなファンが崇める存在ではなく、みんながその活躍に共感し、自らの人生を重ねるような"ピープルズチャンピオン"になっていきましたね」

 三沢は2000年にプロレスリング・ノアを設立。プロレス界のトップを走り続けたが、2009年6月13日の試合中の事故で、46歳の若さで急逝した。いまだに若林の中には、全日本を救った三沢の輝きが鮮明に残っている。

(敬称略)

◆連載6:小橋健太のひたむきさに馬場も「まいったよ」 がん克服の感動の一戦、母に送り続けた「お弁当箱」の秘話>>

【プロフィール】
若林健治(わかばやし・けんじ)

1958年、東京都生まれ。法政大学法学部を卒業後、1981年に中部日本放送に入社。1984年、日本テレビに入社。数々のスポーツ中継を担当するほか、情報番組などのナレーターとしても人気を博す。2007年に日本テレビ退社後は、フリーアナウンサーとして活躍している。

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