「タイガーマスク、マスクを脱いだぁ!」素顔に戻った三沢光晴は、天龍退団後の全日本プロレスに新しい時代をもたらした (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【天龍の離脱、馬場の負傷負けの危機に灯った希望の光】

 三沢の大きな転換点となったのは1990年5月14日。「スーパーパワーシリーズ」開幕戦の東京体育館大会で、2代目タイガーマスクの三沢は川田利明と組み、谷津嘉章、サムソン冬木組と対戦。その試合中、三沢はいきなり覆面を脱ぎ捨て、「タイガーマスク」から「三沢光晴」へと"脱皮"した。

 この試合を実況していた若林は、マスクが客席に投げられた瞬間、「タイガーマスク、マスクを脱いだぁ! 三沢となって今、猛然と打っていったぁ!」と声を上ずらせた。

「マスクを脱ぐなんて、事前に聞いていませんでしたし想定していませんでした。私にとって、完全なハプニングでしたね」

 この東京体育館大会は、全日本にとって激震の渦中で迎えたビッグマッチだった。シリーズ開幕前に天龍源一郎が退団し、大手眼鏡チェーン「メガネスーパー」が親会社となった新団体「SWS」に移籍。全日本は看板レスラーを失った。

 さらに、この大会のメインイベントでアクシデントが起こる。ジャンボ鶴田とタッグを組み、テリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムスと対戦したジャイアント馬場が、試合中に負傷してフォール負けを喫したのだ。

「馬場さんがテリー・ゴディの技を受けて動けなくなった。天龍さんが離脱した直後の大会での馬場さんの負傷に、正直、私は『全日本は終わった』と思いました。ただ、同時に『俺にできることはないか。全日本を守ることはできないか』とも考えたんです。

 それで頭に浮かんだのが、天龍さんが抜けた穴を埋めようと、マスクを脱ぎ捨てて必死なファイトを展開した三沢さんだったんです。私は『(今後の全日本は)三沢にかけよう』と思い、彼のことをより意識して実況するようになりました」

 素顔に戻った三沢は、団体の絶対的エースだった鶴田に牙をむく。迎えたシリーズ最終戦の6月8日、日本武道館。三沢は鶴田との初の一騎打ちに挑んだ。その試合も実況を務めたのは若林だったが、徹夜で資料を準備して迎えた当日は熱っぽくて意識が朦朧とし、「病院でカンフル剤のようなものを注射してもらって、会場に向かったことを覚えています」と振り返る。

 そんな若林が「長いプロレス実況アナ生活の中で最高の試合」と話す一戦は、三沢に対して鶴田も厳しい攻撃で応じ、会場は大盛り上がり。若林の記憶に強く残っているのは、試合終盤に鶴田がドロップキックを誤爆した場面だという。

「鶴田さんのドロップキックを三沢さんがかわして、鶴田さんが股間をロープに打ちつけたんです。そこで私は『三沢、チャーンス!』と叫びました。試合前は、三沢さんが勝つ可能性は限りなくゼロに近いと思っていました。でも、鶴田さんがドロップキックを外されたことで、三沢さんにチャンスが生まれたと思ったんです」

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