仮面の女子プロレスラー、ハイパーミサヲが明かす壮絶な過去。大学時代に青山霊園から緊急搬送されるなど「どん底でした」 (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

 ハイパーミサヲは泣き崩れた。枠のなかで生きようとしていた自分。世界とのズレに苦悩し、死のうとした自分。それも叶わず、死んだように生きていた自分。しかし今の自分は、プロレスのリングの上で「生きている」と強く実感している。

「かつての自分と今の自分が、あの試合でつながったというか。過去の自分をちょっと救えたかなと思う」

 彼女はいかにして、"愛と平和を守るニューヒーロー"になったのか。

仮面をつけて闘う東京女子プロレスのハイパーミサヲ仮面をつけて闘う東京女子プロレスのハイパーミサヲこの記事に関連する写真を見る***

 ハイパーミサヲは1990年、茨城県に生まれた。父、母、3つ上の兄がいる。茨城に生まれたのは父の仕事の関係で、周りの子のように親戚が近くにいない環境。地元なのに地元じゃないようなコンプレックスを幼い頃から抱いていた。

「田舎だから排他的だったりもして、地域に馴染むというのが人生の最初のハードルとしてありました。私の勝手な思い込みで実際はみんな優しかったと思うんですけど、『この発言は大丈夫かな?』『この振る舞いで合ってる?』みたいなことを常に考えながら生活してましたね」

 絵を描くことが好きで、将来の夢はイラストレーター。小学校の全校集会で表彰されることが度々あった。ミサヲはそれが「本当に嫌だった」と話す。目立つことも嫌だったし、「そこしか褒めるところないから褒められてるのかな」とも感じた。

 中学受験をし、中高一貫の地元の進学校に入学する。その際、自己紹介文で将来の夢を書かなければならなかったが、その答えで周囲との"ズレ"を感じることになる。

「進学校だから周りは医者とか弁護士とか書いてるのに、私は特殊メイクアップアーティストとか書いちゃったんですよね。そこで"ズレ"を確実に把握しました。なんかこいつ違うなって思われたのかも。最初のグループでいじめられちゃって......。しばらく学校を休んだんですけど、休み明けに『生きてたんだ』とか言われて。でも私は平気な顔して、別のグループに入りました。平気な面をしちゃうんですよね、すべてにおいて」

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