ケンコバが振り返るプロレス名勝負。新日本の「虎ハンター」が「一般の空手家」に敗れた異種格闘技戦 (2ページ目)
道場で目撃した虎ハンターの意外な一面
――別の説とは!?
「門下生がドアを閉めなかったっていう重要なシーンを、小林さんが見てなかったという説です。当時レフェリーをしていたミスター高橋さんが『邦昭、誠心会館の青柳(政司)を激励に来た若いヤツら、扉を閉めなかったぞ』みたいにささやいて、仕掛けさせたっていう話もあるんですよ」
――なるほど。仕掛け人がいたかもしれない、ということですか。
「俺は、小林さんが初代タイガーマスクの宿敵で"虎ハンター"と言われていた時から好きでした。タイガーマスクとの抗争ではマスクを破ったりして、悪いことをする人という印象だったのが、この控室のトラブルを聞いた時は、『そういう"風紀委員"的なところあるんやな』と意外で。のちに、その俺の見立てが間違っていなかったことを象徴することがあったんです」
――どんな出来事ですか?
「俺が若手芸人の時に、新日本プロレスの道場でロケをさせてもらったことがあったんです。当時、俺は山本小鉄さんのモノマネをしていたので、小鉄さんにその許可をもらいにいくというロケでした。すでに小鉄さんは若手選手(ヤングライオン)たちを教えるコーチから外れていたんですけど、"特別コーチ"として久々に道場に来てもらったんです」
――それは貴重ですね。選手たちはピリっとしたんじゃないですか?
「それが、ヤングライオンのみなさんにはお礼言われたんです。あの頃は、柴田(勝頼)さん、棚橋(弘至)さんがまだ丸刈りの若手だったんですが、『僕たち、小鉄さんの指導に憧れてたんで、今日はめっちゃうれしいです』って、なごやかムードだったんですよ。
そうしたらいきなり、小林さんがバーンと道場に入ってきて、『おぅ、俺のゴルフクラブどこだ?』と。そうしたら丸刈りのヤングライオンたちが『こちらです!』と直立不動になったんです。
そんな場面は普段だったら絶対に見られませんから、『これはエエモン見た』と思いましたよ。言葉はいかついですが、その時の小林さんの雰囲気は、まさに規律を重視する風紀委員そのもの。しかも俺にとっては『小林邦昭、ゴルフクラブを道場に置いてんねや』という貴重な情報も得ることができて......あれはホンマにいい体験でした」
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