両親の激しい口論。父が発した衝撃の言葉......。傷ついた朱里が辿り着いた「リング」という輝ける場所 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • 林ユバ●撮影 photo by Hayashi Yuba

 女優としてはまったく芽が出なかった。事務所の社長に「お前は鼻がダメだ」と言われ、整形したいとまで思ったが行動できなかった。芸能関係者と知り合い、「枕営業をしたら仕事をやる」と言われた時もあったが、応じられなかった。いじめに遭い、舞台の練習中に過呼吸で倒れたこともある。どうやったら売れるのかわからなかった。

「光が見えなかったし、お金も漫画喫茶暮らしで使い果たして全然なかったです。いろいろありましたね」

 そういった時期は、いつまで続いたのか。

「ハッスルと出会うまで」

リング上で輝くことが自分にとって宝物

 さまざまなオーディションを受けるなか、知人にハッスルのオーディションを薦められた。ハッスルのことは知らなかったし、プロレスだと言われても「プロレスってなんだろう?」と思った。しかし「とにかくなんでも一生懸命やるしかない」と思い、なにもわからずオーディションを受けに行った。

 結果は見事、合格。同期は7人いたが、練習生の間に朱里以外、全員やめた。

「このオーディションはタレント枠のオーディションだったんです。合格したあと、練習もきつかったし、『芸能活動をやりたいのに何をやってるんだろう』と思った子もいたと思います。芸能の仕事があれば練習よりそっちを優先すると思う。わたしは芸能の仕事もなにもなかったし、ここで頑張るって決めていたので」

 入門から3か月後の2008年10月26日、ハッスル栃木大会でデビュー。リングネームはKG(カラテガール)だ。大会前半のストロング・ハッスルと称される路線の一角を担うことになった。

 デビューしたものの、試合以外では雑用に追われた。ハッスルには大御所しかいなかったため、一番下の朱里が、10数人いた先輩のガウン、コスチューム、靴下、サポーターなど、ありとあらゆるものを準備しなければならない。試合前は道場のリングを解体し、トラックに乗せ、そのトラックで会場に行き、リングを降ろして設営する。試合が終わったらリングを解体し、またトラックに積むという作業を繰り返した。

「ハッスルは経営が苦しかったので、お給料が出たのは最初の2か月だけ。その後はずっと未払いでした。なんでこんなことしてるんだろう......。そう思ったことは何度もあります。だけど、リングに上がると応援してくれる人がいる。『KG頑張れ!』という言葉がすごく嬉しかったし、パワーになりました。やっと自分にとって光が見えた瞬間でもありました。リングという輝ける場所を見つけたんです」

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