柔道・渡名喜風南、苦手なビロティドも撃破で金メダルへ期待。「プレッシャーもないし、他人の評価も気にならない」 (2ページ目)
渡名喜自身は格闘家を目指したかったが、母親が反対した。女の子だからそういう競技はやらせられないということで、相武館吉田道場に連れていかれたのだ。
「道着を着せてもらい、打ち込みとかをやらせてもらって、すごく楽しかったんです」
それが柔道家・渡名喜の生まれた瞬間だ。
中学では小学生時代の和気あいあいとした雰囲気からピリピリした中で練習をするようになった。立ち技と寝技の打ち込みで相手が一定の体勢からスタートするという反復練習を2時間、休みなく続けた。試合に勝ち始めるようになると生来の負けず嫌いな性格が表出してきた。
「とにかく負けたくないという気持ちで柔道をしていました」
高校に入り、1年の頃はなかなか勝てない時期がつづいたが、高2の時に全日本ジュニア48キロ級で3位になった。この頃、渡名喜は、あることを克服し、いい心理状態で試合に臨めるようになっていた。
「緊張を楽しめるようになりました。それまでは緊張して、試合で自分の力を発揮できなかったり、自分が思うように組み手ができなかったりしたんです。でも、勝てるようになっていくと自信がついて、極度の緊張ではなく、程よい緊張で試合に臨めるようになったんです。今はもう試合では緊張しないので、逆にテンションを上げるためにバンバンと体や顔を叩いて、これからいくぞ!って気持ちを盛り上げています」
柔道の試合では始まる前、コーチが選手の背中や肩を叩いたり、選手が自らの顔を両手で叩くシーンをよく見かける。渡名喜もよくやり、たまに叩きすぎて顔が真っ赤になる時があるそうだが、あれは気合注入で、集中力を高める「戦いの儀式」でもあるのだ。
自分の弱さを克服していく一方で、自分の柔道スタイルを磨き上げていった。道場では自分よりも体の大きな選手と組み、そこで技をかけることで「投げ力」をつけていった。
「道場では、足技と寝技を何度も反復練習で自分の型にしていきました。小外刈りは自分の得意技になりましたし、寝技は高校の時に試合で押さえ込んで勝つことができて、『自分は寝技ができるんだ』って自信になり、自分のものになりました」
自信がついていく中、ライバルとの競争にも闘志を燃やした。
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