鈴木みのる、最強レスラーへの道程は「猪木の敵をとる」から始まった (4ページ目)
「何かを教わった、という感じではないんですよ。これとこれを覚えなさい、というやり方ではないので。『ブリッジやってみて。ここから沈んでいくんだ。ああ、スズキはできない。OK、OK、次やろう』という感じですね。できないことを一切、咎めないんですよ。それが余計に悔しくて。その時に、全部、一発でできたのが、船木(誠勝)なんです。悔しくてしょうがなかったですけど、レスラー人生の前半は船木とともにいた時間なので、彼がいなかったら僕はここまで頑張れなかったかもしれないですね」
1993年1月、鈴木は船木とともに藤原組を退団し、総合格闘技団体・パンクラスを旗揚げする。なぜプロレスから総合格闘技へ? そう問うと、鈴木はこう答えた。「あれがプロレスなんです、オレのなかで。カッコいい恰好をして、リングの上で闘って、パッと相手をやっつける。あれがプロレス。当時はね」
しかし首の負傷が原因で、欠場する日々が続く。2002年11月、引退を覚悟して臨んだ試合の相手は、獣神サンダー・ライガー。試合が決まる前、ライガーが鈴木に連絡をくれた。「お前、辞めるらしいな。辞めるなよ。マスクを脱いでもいいから、オレがお前の相手をする。だから辞めるな」――。感動した。格闘技関係者からは「あんなド素人と、じじいレスラーがメインイベントでやるなんて、なにがパンクラスだよ」と叩かれた。しかし鈴木は、世界最強の相手とやるんだと思ってトレーニングを積んだ。
「ライガーと試合をやってみて、それまで振り返ることのない生き方をしてきたのに、振り返ったんです。プロレスの最先端まで行ったつもりだったんですよね。けど、ふと振り返ったら、見たことのない世界だらけだったんです。そこに一歩でも戻ることは、仲間を捨てることになる。悩んで、悩んで、もう一度挑戦のつもりで戻りました。そこで初めてレスラーになれた気がしましたね。海外武者修行ってあるじゃないですか。オレは"格闘技武者修行"をしてたんじゃないかなと思います」
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