2019.04.07

鈴木みのる、最強レスラーへの道程は
「猪木の敵をとる」から始まった

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by Sportiva

 プロレスラー・鈴木みのる。50歳にして、現役バリバリ。常にタイトル戦線に絡み、海外でも爆発的な人気を誇る。海外では、棚橋弘至、オカダ・カズチカよりも、鈴木みのる。派手なコスチュームを着ているわけでもない。派手なパフォーマンスをするわけでもない。それでも”黒いショートタイツの侍”に、世界中が魅了されている。そのカリスマ的人気のワケを知りたいと思った。鈴木のルーツを辿ろうと思った。

日本のみならず海外でも爆発的な人気を誇る鈴木みのる 幼稚園、小学校と、やんちゃな子どもだったという。いつも先頭じゃないとイヤ。学級委員もやりたい、班長もやりたい、部長もやりたい。常にお山の大将でいたかった。しかしある時、遊ぶ約束をしていた友だちの家に行くと居留守を使われた。悲しくて、涙を流しながら帰った。その頃から心を閉ざし、ひとりで遊ぶことが増えた。

 プロレスにのめり込んだのは、中学校1年生のとき。4月に初代タイガーマスクのデビュー戦があった。テリー・ファンクをはじめ、全日本プロレスの外国人選手が好きだった鈴木はその試合を観ていなかったが、次の日、学校でみんなが騒いでいる。翌週から新日本プロレスの試合を観るようになった。そのとき目に留まったのが、アントニオ猪木だった。

「国際軍団が新日本に来たことがあるんですよ。3人に対して、猪木さんは1人で闘った。そのときにドはまりしました。『勝てるわけねーじゃん』と思って、実際、勝てなかったんですけど、勝てなかった方にオレは惹かれたんです。カッコいいと思ったんですよね。それからは猪木一筋ですよ」

 プロレスラーになりたいと思ったのは、中学校3年生の時だ。IWGPがタイトル化される前に、世界中のチャンピオンが集まるトーナメント・IWGPリーグ戦があった。決勝戦は1983年6月2日、アントニオ猪木×ハルク・ホーガン。テレビ中継は翌日だったため、その日、鈴木は友だちとお祭りに行った。帰宅して何気なくテレビを観ていたら、衝撃を受けた。『試合中にアントニオ猪木が意識不明になり、救急車で緊急搬送』というテロップが流れたのだ。俗に言う「猪木舌出し失神事件」である。