鈴木みのる、最強レスラーへの道程は「猪木の敵をとる」から始まった (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by Sportiva

「そのとき親父に『オレ、レスラーになる』って言いました。猪木の敵(かたき)をとる、と。親父にはバカにされましたけど、それからオレの人生は変わりましたね」

 その頃、鈴木は人の目を気にしないと生活できなくなっていた。のけ者にされないためには、2番目、3番目にいるのが一番いい。本当は飛び抜けたいのに、飛び抜けないように生きていた。しかし、レスラーになろうと決意したその日から、世界がガラッと変わった。同級生を見て、「コイツらとオレは違う世界の人間なんだ」「オレはテレビの向こう側に行くんだ」と。そこから人生がめまぐるしく変わっていく。鈴木は言う。「導かれたとしか思えない」――。

 鈴木の実家は酒屋を営んでいたが、たまたま店に来た男性客に「レスラーになりたいのか? おじさん、レスラーだったんだよ」と言われた。その人は、藤原喜明も通っていたボディビルの「スカイジム」会長、金子武雄。スカイジムには世界で活躍するボディビルダーが集まる。鈴木は毎日ジムに通い、中学を卒業する頃にはベンチプレス100kgを上げた。

 高校に上がると、レスリング部に入部。自己紹介のとき、「将来プロレスラーになりたいので、レスリングはとりあえず日本一になりたいです」と言うと、先輩に大爆笑された。しかし1年生の夏、鈴木は県大会で優勝し、全国大会へ行く。1回戦で負けたが、声を掛けてきた男性がいた。「君、面白いから、うちの大学に遊びにおいで」。国士舘大学の伊達治一郎だった。モントリオールオリンピックの金メダリストだ。それからは、週末になると大学の道場に通い、2年生の春には全日本の強化選手に選ばれ、国際大会にも出場した。

 そんな頃、鈴木が通っていた横浜高校の武末先生が、とある初老の男性を道場に連れてきた。「お前のやり方じゃダメだよ」と言われ、指導を受けるようになった。その男性の名は、ビクトル古賀。日本にロシアの国技であるサンボを広めた伝説の格闘家だ。鈴木が使うビクトル投げは、直伝だったのだ。伊達治一郎とビクトル古賀との出会いによって、鈴木はどんどんと強さを増していく。

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