【国際プロレス伝】アニマルを呑み助にした草津の「グレートな夜遊び」 (3ページ目)
草津さんはダンスも歌もうまかったですね。加藤登紀子さんの『知床旅情』や、雪村いづみさんの『ジャンバラヤ』が得意でね。ほかのお客さんも聴き入っていましたよ」
浜口は22歳になる数日前に国際プロレスに入門したが、それまで酒は控えていた。
「父親が大酒飲みでね。僕が生まれる前はたいそう羽振りがよかったらしく、大きな甕(かめ)にお札をぎっしりと詰め込んで、芸者遊びをしていたそうです。ところが、事業に失敗してからは酒を呑んだらよく暴れていました。
母はもちろん、僕も小さいころから苦労させられました。貧乏生活でね、学校に弁当を持っていけず、昼休みになると水を腹いっぱい飲んで空腹を我慢したり。中学生のころから毎朝、牛乳配達のアルバイトをしていました。
それと、10代のころに工事現場で一緒に働いていた先輩たちのなかには、普段はまじめでおとなしいのに、酒が入ると人が変わったように暴れだす人もいてね。だから、『大人になっても絶対に酒は呑まないぞ』と決めていたんです。
しかし、プロレスラーになって、草津さんの付け人にしていただいて、『きさん、呑め!』なんて言われたらね。草津さんは熊本生まれで、『貴様』のことを『きさん』って言うんです。そう言われたら、呑まないわけにはいかない。『はい、ありがとうございます。いただきます!』。
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